第一章『無能な異端者〜始まりは過去に〜』



「おい、クロイス、おきろ」
快活な声と共に、体を揺り動かされ机に突っ伏していた少年はやはり机に突っ伏したまま、あくびを噛み殺し答えた。
「〜〜、がなるな、聞こえてるよ、ユーキ」
「だったら早く起きろ、次は移動教室だぜ」
ユーキと呼ばれた少年は少し呆れた口調で返してきた。モデル並みの体型、赤い髪を肩まで伸ばしている。モテルために生まれてきたと普段から主張している顔は、自画自賛するだけあってかなりの美形であった。一方さっき起こされていたクロイスという少年は、ユーキとまではいかなくとも長身痩躯の体型、黒髪にグレーの瞳で造られている顔は二枚目といっても言い過ぎではないだろう。とにかく見ていても気分を害すことのない二人の少年が話していると、そこに二人の女の子が会話に入ってきた。
「あ、クロイス起きた?」
「あんたねー、早くしなさいよ。こっちは待ってるんだから」
「別に待ってくれなんて言った覚えは無いんだけどな」
体を起こし、鉛のように重いまぶたをなんとか上げ、クロイスはどうでもよさげに答えた。
「なっ、あんたねー」
「あー、分かったから怒るな、シルビア。リータも悪かったな」
「あ、ううん。気にしないで」
「ったく、起きたんなら行こうぜ」
「うん」
「そーね」
「おう」



魔法がある以外には現代にどこか似かよった世界。この世界で物語ストーリーは紡がれる。
国家という枠組みはすでに無く、魔法と科学が融合し、魔法を使役する存在、『魔法師』と呼ばれる人間が集合し作った組織、『魔法庁』が世界を統べていた。
さて、先ほどの会話は魔法庁直属の高等教育機関のひとつ『スクール』の一室で行われていた。
各地からエリートが集められる教育機関であるスクール。その中でも一番注視されるのは『魔法力』の大きさだった。
魔法容量の大きさを数値化できるようになってすでに三百年以上たち、このことで人々は意識せず差別化されるようになっていた。『魔法力』が大きいというのは、ただそれだけでアドバンテ−ジに成り得るからである。
一般男性の平均値がおおよそ千でありながらこの学校には一人を除き魔法力ン十万という人間が集まっていた。
そんな中たった一人の落ちこぼれは、先ほど寝ていたクロイスだった。魔法以外では常にトップレベルであるにもかかわらず彼がここで落ちこぼれている理由は千二十四という一般人と変わらない魔法力のせいであった。魔法力が重視されがちなこの機関では明らかな弱点ウイークポイントでありそのことで無能扱いされ、ともすればうとまれがちな彼だが、自身はあまり気にしている様子は無かった。まあクロイスが疎まれているのは、もう一つ理由があるのだが。


「まったくあんたはもう少しまともに授業受けなさいよ。先生がにらんでたわよ」
次の授業のため、廊下を移動しながらシルビアがいつものようにクロイスを叱っていた。
「勝手に、にらましとけばいい。別に聞かなくても教科書を見れば分かる」
「なんかむかつくわねー、その言い方。まぁ、本当のことだから仕方ないけど」
「でもすごいよね。だってテスト前だって特に勉強しないんでしょ」
「ん、ああ。前日に一回教科書を流し読みするくらいだな」
「ったく、それで魔法力が高かったら賢人会に入れたんじゃないか?」
「………別に興味ないよ。そんなもん」
「そんなもんって………。クロイスあんたねー」
「どうでもいいよ。んなことより急がねーと遅刻するぞ」
「あ、ほんとだ、急がなくちゃ」
「まったくあんた待ってたせいでこっちまで遅刻しそうじゃない」
「だからオレは待ってくれなんて頼んでねえっての」
「だから」
「シルビア、落ち着いて。クロイスも」
「わかったわよ、リータ」
「ん、すまんかったな」
そして四人は軽い駆け足で次の教室に向かっていった。
これが、クロイスの疎まれているもうひとつの理由だった。スレンダーな体に、茶色のショートカット、十人に聞けば十人がかわいいと答えただろうその顔は快活な印象を受ける、シルビアとはそういう少女だった。またその印象に違わず、明るく人見知りをしない性格で男女問わず人気があった。
リータも腰まで伸ばした少し白っぽい感じの金髪ブロンド、シルビアよりは多少成長した体、柔らかな印象を与えるその表情は静かなタイプの美人だった。そしてそのやさしく穏やかな性格でシルビア同様人気があった。そんなあわよくば彼女にしたい二人がなぜか落ちこぼれのクロイスと仲がよかったのだから疎まれるのも仕方が無いのかもしれない。



「えーっとそれじゃあ次の問題を、クロイス」
中年といっていいくらいの教師の声が教室に響く。だがその声にこたえるべきはずの人間は深い眠りの真っ只中に居た。
「クロイス、クロイス・カートゥス!!」
教師の何度目かの呼び声にようやくクロイスは目を開けた。
「ふわぁ………ん、なんすか」
「問題を解けといったんだ」
イライラしながら教師は言った。場所を教えなかったのは、ちょっとしたストレス発散なのだろう。
「………………………」
なんとなーく、本当になんとなーく教師の嫌がらせに付き合っていたがそれも飽きたので素直に右隣に座っているシルビアに聞くことにした。
「なぁ、どこ?」
「あんたはねー、だから起きてろって言ったでしょ、まったく。64ページの問5」
「―っと、『なぜ同じ魔法力同士で同じ魔法を使っても、その効力に差が出るのか』だって………。あー、わかりません」
「もういい、次。ソルイド」
苛立った声を上げながら教師は言った。教室の中は中傷を含んだ笑いが小さくあちこちで上がっていた。
「えっと、構成の段階での緻密さと、展開時における魔法力のロスの量で魔法の効力に差が出ます」
「よし、クロイスも少しはソルイドを見習え」
「センセー、それは無理だと思いますよ。だってクロイスは無能なんですから」
一人の生徒が声を上げる。ドッと笑いが起こった。『クロイスは無能』これはクラス、いや学校での共通認識だったからである。
「大体なんでこの学校に居るんだよ」
「俺達の評価まで下がるじゃねーか」
「ホントよねー、たかだか魔法力千ちょっとでこの学校に来るなんて頭おかしいんじゃない」
あちこちから声が上がるが教師も特に止めようとはしなかった。テスト時の成績はいいが、普段授業をまじめに受けようとしないクロイスのことを教師は快く思っていなかった。そもそもテストですらカンニングをしているんじゃないのかといわれているのだ。庇おうとする人間はこの学校にはほとんどいないだろう。
「クロイス………」
隣に座っていたシルビアは、さりげなくクロイスの様子をうかがったが当のクロイスはあくびを噛み殺しながら特に聞いている様子は無く窓の外を見ていた。
「…………、ねむ」



「ねぇ、クロイスは何でこの学校に来たの?」
授業が終わって次の授業はヤル気も起きないし(ヤル気はいつもないのだが)何処かでサボろうかと考えながら一人で歩いていると、シルビアが駆け寄ってきて話しかけてきた。
「んぁ?どうしたんだ、急に」
「えっと………、だって…………」
「あぁ、さっきのことか」
シルビアの疑問の原因に思い当たったが特にこたえる気も無かった。
「さあ、なんでだったかな、よく覚えてないな」
「覚えてないって………、それじゃあさ、転校とかって、考えたこと無いの?」
「ん?オレが居ちゃ困るのか」
「そんなことあるわけ無いじゃない!!」
「………いや、そんなに力いっぱい否定しなくても。でもそんな風に聞こえたけどな」
「あっ、その、ごめん」
「まぁ、いいけどな。んで転校だったっけ。言っちゃ何だがそんな気はまったく無いな。大体めんどくさいだろ、手続きとかいろいろあるし」
「でもつらくないの。さっきみたいにみんなにいろいろ言われて」
「聞かなかったらなんら問題ないだろ。大体あんなもん気にするんだったらとっくの昔にやめてんだろ」
「うん、それもそっか」
「そういうことだ、んじゃおれはここで」
「あれ、どこ行くの?」
「どこか静かな場所」
「あんたまたさぼる気?」
「おぅ、んじゃーなー」
そういってクロイスはとっとと、階段を上っていった。
「まったく」
あきれた、それでもどこかうれしそうな口調でシルビアがつぶやいていた。



「やっぱり屋上かな」
サボりの場所を屋上に決め、頭の中は半分眠っている状態でクロイスは歩いていた。
「クロイスさん、少しよろしいでしょうか」
唐突に声をかけられクロイスが振り向くとそこに一人の女性が立っていた。高めの身長に出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる非の打ち所のないボディーラインは同性が見ても美しいと思えるほどだろう。腰まで届きそうな長く鮮やかな銀色の髪、俗に言うプラチナブロンドは手入れが行き届いていてそのままシャンプーのCMに出れそうだった、そして端正な顔立ちはしかし、感情というものをまったく浮かべてはいなかった。クロイスはこの女性を見るたびにもったいないと思う。少しは柔らかな表情を浮かべればいいのに、これではせっかくの美人が台無しだ。だがまぁ、特に注意する気はないのだが。
「なんだ、あんたか」
そう言いながら眠たげだったクロイスの表情が、不敵な笑みを浮かべたものに変わった。その女性はクロイスのよく知っている人だった。
「あんたが来たってことは、またあいつの呼び出しか」
「はい、放課後でもかまわないとのことですが、いかがいたしますか」
「そうだな、今は眠いから放課後にしてもらおう」
「わかりました、それでは放課後、理事長室までお越しください。それでは失礼します」
用件だけ言うと女性は踵を返した。
「あんたは何も言わないのか?」
ふと思い、笑いを噛み殺しながらクロイスがたずねた。
「なにが、でしょうか?」
足を止め、こちらを振り返り女性はたずねた。
「オレは仮にもここの生徒なんだぜ、それがサボろうとしてるんだ。何か一言あってもいいんじゃないのか?」
「それは私の管轄ではありませんので」
「さようか、まあいい、それじゃあ放課後に。見られたら多少不都合だ、そろそろ行くよ」
「わかりました。それではまた後ほど」



始まりはどこだったのだろう。それを推し量る術は今はなく、ただ動き出した時に飲み込まれていく。



「ん〜〜〜〜、いい気持ちだ」
女性と別れた後予定通り屋上で昼寝をすることにした。五月のぽかぽかとした陽気、暖かな陽光、微かに感じる風。すべてが最高だった。ひと時の至福を噛み締め、クロイスは睡眠の世界へと旅立った。



昼休み、教師と入れ替わりでクロイスは教室に入った。よく見てはいないがおそらくは渋い顔をされていただろう。それでも一年以上もたつと言っても無駄だと悟ったのか何も言わずにすれ違って教室を出ていった。後を追うように学食や購買に行く生徒が横を通り過ぎていく。一瞬クロイスに視線を向けるがそこに何もなかったかのように通り過ぎていった。
「あっ、クロイス戻ってきたんだ」
不意に声をかけられ顔だけそちらに向けるとリータが立っていた。
「………財布をかばんに入れっぱなしにしてたからな」
「ふふっ、珍しいね、お財布持ってないなんて」
「昨日買い物した後、買ったもんと一緒に入れちまったからな。その後財布出すのを忘れてたんだ」
「そうなんだ、なに買ったの?」
「服と食料」
「一人暮らしは大変だね。寮に入ればいいのに」
「管理されるのは嫌いなんだ」
「そっか、たしかアルバイトもしてるんでしょ?」
「ん?ああ」
「どこでやってるんだっけ?」
「あん?言ったことなかったか?配達屋で肉体労働」
「へー。大変そうだね」
「もう慣れたさ。っとわりぃ、あんま話してると食うもんがなくなる」
「あ、うん。ねぇ、クロイスってたしかパンだったよね、だったらパン買ったら教室戻ってきてよ。一緒に食べよ。もうユーキ君とシルビアには言ってあるし」
「まぁ別にいいけど。んじゃ行ってくるわ」
「はやくねー」
「んー、へいよ」
そう言ってクロイスは教室を出て行った。
クロイスが出て行くと、それを確認してからシルビアがリータに話しかけてきた。
「リータ、クロイスどうだって?」
「急いで帰ってくるって」
「へぇー、やっぱりあんたが誘うと違うわね、私が誘ったら『だったら食堂にする』とか言ってるわね」
「ふふっ、そんなことないよ」
「どうだか」



しばらくしてビニール袋をさげてクロイスが教室に戻ってきた。
「あ、クロイスこっちこっち」
「早くしなさいよ」
「おせぇぞ」
すでにユーキとシルビア、リータは食べ始めていた。
「んなでかい声出さなくても聞こえる」
「なんかあったのか」
不機嫌そうな表情のクロイスを不思議に思い、ユーキが声をかけた。
「思いっきり足踏まれた」
「そうか」
特に問題はないと判断したのかユーキは食事を再開した。
「ねぇ、クロイス何なのそのパン?」
クロイスが袋から出したパンを見てシルビアが声をかける。袋から出てきたパンは、『ミックスベジタブルパン』『紅ショウガパン』『食パン』の三つだった。購買でも特に売れ行きの悪い商品として有名だったのでこんなのを買ってきたら普通は驚く。例に漏れず三人は驚いた表情でクロイスを見た。
「行ったらこれしかなかった」
「ふーん、ついてないわねー。きっと日ごろの行いが悪いのね」
「ほっとけ」
「ごめんねクロイス、私が長話してたから」
「ん、気にすんな、財布を持ってなかった俺が悪いんだし」
「………うん」
「ったく、気にしすぎだ」
そう言いながら紅ショウガパンをかじる。
「おいしい?」
三人を代表してシルビアがたずねてくる。やっぱり気にはなるのだろう。
「………まずい」
言った瞬間三者三様のリアクションが返ってきた。ユーキは顔を背けて吹いていた。シルビアは思いっきり声を上げて笑っていた。リータは苦笑している。
「あはははっ、はぁはぁはぁ。………ねぇねぇ、チョットちょうだい」
ひとしきり笑い終えた後、シルビアが言ってくる。
「は?別にいいけど………まずいぞ」
「ほらそれはあれよ、後学のためってことで」
「ふーん。まっ、いいけど。ほら」
言いながらパンを一口分ちぎって渡す。
「ありがと」
言いながらパンを口に放り込み咀嚼そしゃくする。はじめは笑っていたが徐々に表情が陰っていった。
「………まずいー」
少し涙声でシルビアが言った。
「ったく、だから言ったんだ」
「へぇー、そんなに不味いのか」
「私も少し興味あるな」
呆れ口調でシルビアに言ってやるとユーキとリータが会話に入ってきた。
「やめとけよ、失敗例が目の前にいるだろ」
「でもそんなこと言われたら余計気になるんだけどな」
もっともな意見だなとも思い、結局二人にもあげることにした。まぁどのみち後悔するのはこの二人なわけだし。
…………………………。
「まずっ」
思いっきり顔ををしかめながらユーキが
「おいしくないね」
少し表情を曇らせて、それでも笑みを何とか浮かべてリータがそれぞれ言った。
「やっぱり。だからやめとけって言ったんだ」
「あんたこんなもん食べてたら体壊すわよ」
お茶を飲んで口を直したシルビアが呆れ顔で言ってくる。
「食わないほうが体に悪い。それに一応学食で売ってるもんだ、体に害になることはないだろう」
それだけ言って食事を再開することにした。うん、やっぱりまずい。
「ほら、これ」
そう言って弁当箱のふたに玉子焼きを乗せシルビアが差し出してきた。視線だけで問い返す。理由なく物を貰うというのは嫌いだった。長い付き合いだ、むこうもそれは分かっていたのだろう、適当な理由をつけてきた。
「さっきパン一口もらったでしょ、そのお礼よ」
「ありがと」
素直にお礼を言って食べてみると、ほのかな甘みと絶妙な塩加減が口に広がる。
「うまいな」
素直に感想を言うとシルビアが得意げな表情になった。
「ふふんっ、それ私が作ったんだから」
「ほー、すごいな」
そういうと少し照れながらもまんざらでは無い様子だった。
「はい、クロイス。私もお礼」
そう言いながら、リータもから揚げを差し出してきた。
特に断る理由も無いのでもらう事にする。しっかりとした味わいが口の中に広がった。
「うん、うまいよ」
「私も手作りなんだよ」
「へぇ、ありがと」
「どういたしまして」
「………………」
「………………あんだよ」
ユーキが睨んでくる。
「……………べつに」
「あっそ」
「…………………」
「…………………やらねーからな」
「わかってるよ」
それだけ言ってクロイスは食パンをかじった。
何の味付けもない、まんま食パンの味だった。そして昼休みは半分を過ぎようとしていた。



午後の授業はすべて寝て過ごし、気がつけば最後の授業が終わって五分ほど過ぎていた。頭の中でこれからの予定をおおまかに決めて帰り支度をしているとユーキが話しかけてきた。
「お前これからどうすんの?」
「ん、バイトに行くつもりだけど。どうかしたか?」
「いや、暇だったらシルビアとリータとカラオケにでも行こうかと思ったんだけど」
「あーー。悪いな、また今度にしてくれ」
「おう、がんばって肉体労働して来い」
「ああ、じゃな」
「おう、また明日」
教室を出ると昇降口とは逆方向に足を向ける。人の間を縫って歩き、ついた場所は理事長室だった。
深呼吸を一度だけして表情を仕事用に変える、おもむろにドアを開けると正面にある年代物の高そうなデスクで小柄な初老の男性が書類に目を通しているところだった。すぐ横には、昼前に会った女性が控えていた。
「お待ちしていました。クロイス・カートゥス様」
深々と頭を下げながら、女性が感情のこもっていない声で歓迎の言葉をいった。
「待っていましたよ、クロイス」
男性は書類から顔を上げ、ノックをしなかったことを特に咎めず、にこやかな顔で、歓迎の言葉を口にした。
「少々待っていただけますか、もう少しで終わりますので」
ドン
そう言いながら『スクール理事』と彫られた判を、書類に押した。
「レイラ、クロイスにお茶を」
「わかりました」
レイラと呼ばれた女性はお茶を入れるためなのだろう、隣の部屋に姿を消した。
「相変わらず忙しそうだな、デイサス」
ソファに腰かけながら時間つぶしにたずねる。
「いろいろと雑務がありますからね。………………よしっと」
ひと段落ついたのだろう。デスクから離れ正面のソファに腰掛ける。まるでそのタイミングを計っていたかのように、レイラが二つのコーヒーカップを盆の上にのせ帰ってきた。
「コーヒーです、ブラックでよろしかったですね」
「ああ、悪いな」
礼をいい一口すすると口の中にすっきりとした苦味が広がった。
「さて、それじゃあ話を聞こうか」
「ええ、レイラ、資料を」
レイラが出した一冊のファイルを受け取る。
「…………へぇ、これはまた趣味のいいやつだな」
クロイスが見ているページには一枚の写真が貼ってあった。そこに移っているのは血だらけの肉塊、それも見ただけではそれが体のどの部分か判別できないくらい細かく刻まれていた。
「今朝発見されたものです。重さを量ったところ成人男性二人分の重さがありました。調べた結果、今朝から行方不明だったスクール専属の警備員二人のものと確認されました」
まるでスケジュールでも読むかのように淡々とレイラが言う。
「その鑑定って言うのは誰がやったんだ?」
「私がやりました、遺体はすでに始末してご家族へ連絡もしておきました」
事も無げにレイラが言うがあんなものを見せられたら、気分を悪くするのが当然なのだが。
「なるほど、優秀だな。だがこれを俺に見せてどうする気だ。犯人を調べるなら警察の仕事だ、公になるのがいやなら魔法庁の人間を使えばいい。そのくらいの権力ちからはまだあるだろ」
「いえ、実はこのようなものが届きましてね」
そう言ってデイサスは一枚の紙を差し出した。そこには血で、簡単な文が書かれていた。
『明日、接続機を用意しておけ』
「…………。なるほど、わざわざ敵さんから来てくれるわけか」
「ええ、ですからその時に」
「わかった、引き受けてやるよ。まったく、それにしても接続機を欲しがるなんて犯人はテロでもする気か」
「どうします、上に報告して応援を呼びましょうか」
「いや、報告だけでいい」
「わかりました」
「じゃあ悪いが隣の部屋借りるぞ。仕事も溜まってるしな」
「ええ、それでは後ほど」
それだけ聞いてクロイスは隣室に姿を消した。



「ねぇ、どうしてあんな無能なんかと話なんかしてるの?リータちゃんやシルビアちゃんが優しいのはわかるけどもうちょっと付き合う人間さ、選んだほうがいいよ?」
結局、クロイスの不参加でカラオケが延期になりリータはシルビアと一緒に駅前の巨大ショッピングモール『プラーザ』に来ていた。ユーキとはついさっき駅前で別れて、しばらくは二人で歩いていたのだがその結果が、
「そーそー、どうせだったらさー俺たちと仲良くなろうよ。そうだ。なんならこれから一緒に遊びにいかない。遊ぶ場所なら俺たち結構知ってるし、もちろん俺たちのおごりで、ね?」
これだった。プラーザに入って五分ほどしてから急に話しかけられたのだ。隣のクラスの二人で面識はあまりないのだが、馴れ馴れしい口調には少しうんざりしていた。それに何より腹が立つのは、
「絶対あんな無能といるより楽しいよ」
無能
さっきから何度も出てくるこの言葉だった。
「俺、リータちゃんとシルビアちゃんの歌聞きたいなー。ね、行こうよ」
ついには、肩に手を回されとうとう我慢の限界が来た。
「いい加減にしてください、さっきから。なれなれしいですよ、私たちは貴方達みたいな人と遊ぶ気なんて全くありませんから」
言いながら肩に乗っている手を払いのけ続けざまに言う。
「それにクロイスはあなた達よりもずっと素敵ですよ」
驚いた表情を浮かべている二人をおいてシルビアとリータは早足で歩いていった。しばらくは黙って歩いていたがシルビアがニヤニヤしながら話しかけてきた。
「ふふっ、めずらしいじゃない。あんたがあんなこと言うなんて」
「だって………、頭にくるじゃない、馴れ馴れしいし、クロイスの悪口言うし」
「まぁ、私も腹が立ったけどね」
………………………………………………。
「………ねぇ」
しばらく続いていた沈黙をシルビアが破った。
「リータはいつからクロイスのこと………」
「うん、………………多分シルビアと同じだと思うよ」
「…………ああ、やっぱり。あのときは本当にすごかったもんね」
「うん、そうだね」
………………………………………。
………………………………………。



「さて、そろそろだナ」
そう呟きながら夜の帳の下りた学校にひとつの影が入っていった。



カタ、カタカタカタカタ
「ふう、終わった、と」
無機質なデジタル時計が午後十時を表示していた。四時ごろから休憩をまったく入れずパソコンを相手に仕事を続けて、ようやく一区切りがついたのだ。
「よろしいでしょうか」
扉の向こうからレイラが言ってくる。
「ああ。ちょうど終わったところだ」
「では、失礼します」
扉を開け、一礼してからレイラが入ってくる。
「来たのか」
「はい、先ほど学園内に一人侵入者がありました。後二分ほどでこの部屋に着きます」
「わかった、デイサスは?」
「接続機を持ってお待ちです」
「なるほど」
扉をくぐり隣室へ移るとデイサスが座っていた、そしてデスクの上には鏡があった。
「大丈夫ですかな」
たずねてくるデイサスにどうでもよさげにクロイスは返した。
「誰に聞いている?」
「ああ、これは失礼しました」
「お二人とも、来られたようです」
ガチャ
扉が開くと同時一人の男が姿を現した。
「接続機は用意してあるのカ」
扉を開けた男は前置きもなく独特の口調でたずねてくる。
「ええ、こちらに用意してあります」
そういってデイサスが鏡を差し出す。満足げな表情になる男にしかしデイサスが続けて言う。
「しかし、こちらもおとなしく渡す訳にはいかないんですよ。上に知られたら問題になりますし」
「だったらどうするというんダ。俺を捕まえるカ」
「いや、悪いがもっと簡単な方法を採らせてもらう」
そこにきて始めてクロイスが声を発した。
「なんだ、ガキ、殺されたいカ」
「悪いが、死ぬのはお前だ」
「なニ」
クロイスは言い終わると同時、左手を掲げた。すると中指にはめられていた指輪が光り、
世界が
変わった
一瞬にして一面乳白色の壁に囲まれた空間に変わった、体育館ほどあるだろうその空間にどこから出したのか長大な機銃マシンガンを持ったクロイス。それにレイラ、デイサスに男が立っていた。
「なっ、閉鎖空間だト」
「御明察、ここなら好きなだけ血を流せるからな」
その言葉と同時、引き金が引かれた。
カチャッ、ガガガガガガガガガガガガガガガガガ。
「クソッ」
男は横に走りながら魔法の構成を編み上げる。
「白銀の盾!」
叫ぶと同時、男の前に光の壁が現れる。
「へぇ」
感心してクロイスは呟いた。男の反射神経、体捌き、魔法技量、どれを見ても中々のものだった。普通の中・・・・では。だがクロイス自身は普通とはかけ離れたところにいた。
男は魔法が展開したことに安堵しながら思考をめぐらせる、ひとまずこの障壁で銃弾を防ぎ、弾切れを狙い攻撃を仕掛けるという算段を立てる。
「なッ!」
だが唐突に現れた構成で自分の考えが甘かった事を知る。
「レイン!」
現れた十の光弾が一斉に頭上から降りそそぐ。寸でのところで身を捻るがそのうち二つが着弾してかなりの深手を負わせた。
障壁が掻き消えた瞬間にクロイスは距離詰める。
「フッ!」
そのまま押すように男の体を蹴り飛ばす。
「終わりだ」
確認するような口調でそう呟きながらクロイスは仰向けに倒れた男の口に銃口をねじ込んで引き金を引いた。
「ふん、あっけないな」
パチパチ
気の抜けた拍手とともに離れた場所で見物していたデイサスがよってくる、もちろんレイラも一緒に。
「相変わらず、見事ですな」
「そいつはどうも」
「でもよかったのでしょうか」
めったに表情を見せないレイラが珍しく思案している表情を浮かべながらが言った。
「あん、なにがだ」
「いえ、何か情報を聞き出せたのでは、と思いまして」
「なんだ、そんなことか。どうせ末端の人間だ。何も知らないさ、聞くだけ時間の無駄だ。」
「なるほど、分かりました」
「それより死体の始末を頼む」
いつの間にかクロイスの手からは機銃が消えていた。
「はい、わかりました」
レイラが死体に向き直り手をかざした。
「フレイムハート!」
構成が解き放たれ魔法が発動する。突然死体が炎に包まれ破片一つ残らずに燃え尽きた。
「終わりました」
「ああ、んじゃ帰るか、………閉鎖空間、解除」
次の瞬間三人は一瞬にして元の部屋に戻っていた。
「お疲れ様でした、報告はこちらでしておくので」
「ああ。しかし、どこかの組織がさっきのを雇ったんだとしたらこれくらいじゃあ終わらないだろうな」
「ええ、そのときはまたよろしくお願いしますよ」
「ったく余計な仕事増やしやがって、どこのどいつだ、こんな事したのは。………………………お前なら何か知ってんだろう、フリーよぉー」
突然、部屋の片隅に向けクロイスが言い放った。すると白いスーツを着た男が唐突に部屋の中に姿を現した。それこそ魔法・・のように唐突に。
「いつ。気が付いたんだい」
「閉鎖空間を作る前、お前がこの部屋に入ってきたときからだ」
「さすが、相変わらず観察のしがいがあるよ、君は」
「観察ね、相変わらずくだらねー事やってんな」
「くだらない事とは心外だね。我らが『教師』のお考えが君には分からないんだよ」
「へっ、『教師』ねぇ。ったく、いい加減俺の前に姿を現させろ。殺してやるからよぉ」
「いずれ時が来れば、必ず姿を現すといっていたよ、彼は」
「クロイス。なにを悠長に話しているんだ!!どこの誰だか知らないが不法侵入者だぞ。早く捕まえたらどうだ」
「ああ、挨拶が遅れましたね、初めましてかな。『デイサス・イニア』、『レイラ・ハントノート』」
「なぜ私の名前を知っている」
「僕の役割ロールがなせる技ですよ。初めまして、八種の火薬ブラックパウダー・エイツが一人。観察者、フリー・ケネシムです。以後、お見知りおきを。さて長居しすぎたようだ、僕はそろそろ帰るとしようかな」
「オレがいるのに帰れると思ってんのか」
いつの間にかクロイスの右手に黒曜石から削りだしたような真っ黒な、長さ20p程度の円柱形のものが握られていた。
「まさか、僕がそこまで無知に見えるかい」
「いや、見えねえなー」
「そこでだ、取引しないかい」
「取引だと?」
「ああ、僕のことを見逃してくれるなら、さっきの男の雇い主。教えてあげよう」
「その情報が真実だという保証は」
「僕の役割ロールは『観察者』。僕の情報はいつでも絶対的真実だよ。ましてや取引の場で嘘を付くのは僕の信条に反するしね」
「なるほど」
「どうだい、悪くは無いだろう」
「何を戯言を、おい、早くこの男を捕まえるんだ、クロイス」
「…………………」
「おい、クロイス」
「うるせぇ、だまってろ」
押し殺した声でデイサスに告げる。
「……………いいだろう、フリー。その話乗ってやるよ」
「なっ、クロイス自分が何を言ってるのか分かってるんだろうな!!」
「ああ」
「ふふっ。いいね君は、相変わらずいいよ。それじゃあ、教えようか。あの男を雇ったのはレン・イノシンだよ」
瞬間、息が詰まった。まったく予想していなかった。その名前を聞くことがまたくるなどとは。
「なん………だと。それじゃあまさか」
「そう、テンプル騎士団が眠りから覚めたんだよ」
「ふざけるな!!テンプル騎士団は俺が潰したはずだ」
激昂したかのようにクロイスが言う、だがフリーは特に意に介さずに続けた。
「確かに君は当時のテンプル騎士団団長を殺した。………だが、君は残りの団員を放っておいた。その残りの人間が新しい頭を据えて動き出したんだよ」
「おい。その頭ってのはレンのことか」
「いや、彼も今は一部隊長にすぎない」
「じゃあいったい、だれが」
「そこはまだ僕も知らないんだよ。だが、厄介な手合いであることは間違いないだろうね」
「…………。そうか」
「さて、それじゃあ僕はこれで。クロイス、いずれ、また」
そう言って観察者フリーは、現れた時と同じように忽然と姿を消した。
「…………、テンプル騎士団が……………」
「何か言いましたか」
デスクに座り、接続機をしまいながらデイサスが訊ねてくる。
「いや」
「そうですか、それより今日のことは全て上に報告させていただきますよ」
少し怒りを含んだ口調でデイサスが言ってくる。それに対しクロイスは皮肉げに答えた。
「ああ、かまわないさ。ただし必ず全て報告しておけよ、全てをな。それじゃあ俺は帰らせてもらうぞ」
「わかりました、それでは」
「お疲れ様でした。クロイス様」
レイラが深々と頭を下げてくる。
「ああ、じゃあな」
後ろ手に手を振りながらクロイスは帰路についた。その光景を遠くから見守る影がいた。



「なるほど、あそこに接続機があるわけか」