第二章『学園騒動〜明かされた真実〜』
カラカラカラ
始業のベル五分前にクロイスは教室に入った、大体いつもこの時間に登校して後は寝ている。今日もその予定だった。昨日のことで疲れていたし、まず何より、そしていつものようにヤル気がなかった。しかしそんな日に限って何よりも大切な睡眠を邪魔するものがいた。やりたい時にできない、人生とは大体がそういうものだ。
「おっはよー」
「おはよう、クロイス」
「よう」
朗らかな、今のクロイスとは真逆のテンションの声で三様の挨拶がきた。だがその声も今のクロイスにとっては早朝から始まる迷惑なビル工事と大差なかった。こういう自分の安息の時を破壊するやつらに言うべきことはさして多くない、簡潔に分かりやすくこちらの意図を伝える。
「うるさい、散れ」
さて、言うべきことは言った。これでもう声は掛けてこないだろうと思い眠りの世界に旅立つことにする。この時、もしクロイスの思考回路を舐めればおそらく激甘だったに違いない。
「なっ、あんたねーそれが朝っぱらから友達に向かって言うセリフ?」
「クロイス今のはちょっとひどいよ」
「お前、もうちょっと愛想ってモノを身につけろよ」
相手の性格を考えずに余計に煽るようなことを言ってしまった。人というのは禁止されると余計にやりたくなる。ここぞという時に上手く事が回らない。人生とはそういうものだ。
「……………はぁ、分かった分かった。すまんかった」
仕方がないので教師が来るまで付き合ってやることにする。どのみち後3〜4分だ。
………………。
……………。
…………。
………。
しかし始業のベルが鳴っても一時間目が始まっても教師は来ない。
「………………。………………なぁ、何で教師連中は来ないんだ」
「何言ってんのあんた?昨日のショートホームルームで今日の一時間目と二時間目は自習だって言ってたでしょ」
「そうそう、しかも課題はなーんにも出てないんだよね。だからほら、みんな遊んでるでしょ」
周りを見ると確かに遊んだり話したり眠ったりしている。しかも魔法というものは呪文を使い、教室で簡単な魔法の実習をすることもあるので各教室は防音加工がしてあり滅多なことでこの騒ぎが周りの教室に聞こえることはない。そのため騒ぎたい放題だった。
「見回りの教師はいないのかよ」
「さあ?みんな忙しいんじゃない」
「ったく、職務怠慢なんじゃねーのか」
「まぁいいじゃない。おかげで遊べるんだし」
「…………………俺は寝たい。(ぼそっ)」
「ん?なにかいった、クロイス?」
「……いや、なんでもない」
「そっ、ねぇねぇそれより駅前に………………」
…………………………。
結局二時間目の休み終わりまで会話は途切れることはなかった。案の定クロイスは一秒も眠ることはできなかった。当人にとって必要なことが周囲からは理解されずに邪魔される。やはり人生とはそういうものなのだ。クロイスはこの日、人生について三つの重要なことを身をもって体験した。
ちなみに三時間目以降は屋上で昼食もとらずに放課後まで眠り続けていた。
♪〜〜♪〜〜〜♪
朝、いつも起きるより少し早く携帯が鳴った。
「はぁ………、何だよ朝っぱらから」
一〜二分しか変わらないのだが睡眠を邪魔されたことに並々ならぬ怒りを覚える。この生活に移る前はそれこそ一時間しか寝ない日がざらにあったことを考えるとずいぶん感化されたものだと思った。
「はい、もしもし」
ディスプレイを見ると相手はユーキだった。もしくだらない電話なら即行で切ってやろうと思いながら電話に出た。
『おう、起きてたか?』
「電話の音で起きた」
不快感丸出しの声でクロイスは言うがユーキは特に気にした様子はなかった。
『そうか、じゃあお前非常回線放送きいてなかっただろ』
「ウェイブ?なんかあったのか?」
『ああ、なんつーかオレも信じらんねーんだけどな、スクールの敷地に………』
「ああ」
『敷地にな、…………魔獣があふれかえってるらしい』
「……………は?」
『だから、魔獣がいるんだよ、ウヨウヨとな』
「……………………」
『……………………』
「……………………」
『おーーい、クロイス?大丈夫か』
「ん、ああ。んじゃ学校は?」
『休みに決まってんだろ。教師連中が結界張ってるらしいぜ』
「ふーん、まぁどうでもいいや」
『どうでもいいってお前』
「そんなもん魔法庁の人間がどうとでもするだろう」
『まぁお前らしいか。そだ、なんだったらシルビアとリータにも声掛けて』
「俺は行かんぞ」
『………………。いや、でも』
「眠いんだ、オレは」
『いや、でもな』
「行くなら勝手に言って来い、用がないならもう切るぞ、じゃあな」
『おい、クロイ』
プー、プー、プー。
待ち合わせ場所に行くと二人はもう来ていた。
「あ、ユーキ、こっちこっち」
シルビアがこちらに気がつき手を振ってきた。
「おはよう、ユーキ君」
「ああ、おはよう二人とも」
「あれ、クロイスは」
「いや、あいつは………」
「どうせ寝てるんでしょ、だから言ったのよ、誘っても無駄だって」
そういうシルビアの顔はどこか残念そうだった。
「ははは………」
「そっか………。しょうがないし、それじゃあ行こっか」
「そうね」
「ああ」
「……………………ちぇっ」
「ん、リータ、どうかしたか?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そっか、急ごうぜ、どうなってるか気になって仕方がないし」
「うん」
「ったく」
携帯を置きながら嫌な予感がしていた。そして悲しむべきことに大体今まで嫌な予感というのは、外れたことはなかった。
「………………魔獣か。いくらなんでもタイミングが良すぎるな」
思い出していたのはついこの間の接続機のことだった。
♪〜〜♪〜〜〜♪
しばらく考え込んでいると携帯が鳴り出した。ディスプレイを見るとそこには『デイサス・イニア』と映っていた。
「はぁ………、休みになると思ったんだけどなー」
少しばかり残念に思いながら通話ボタンに指を掛けた。
「はいもしもし」
『朝早くから申し訳ありません、クロイス様』
携帯から聞こえてきたのは理事長専属秘書レイラ・ハントノートの声だった。
「いや、かまわないが。それで用件は?」
『はい、現在スクール敷地内に魔獣が無断で侵入している件についてはご存知でしょうか』
「ああ」
『その魔獣についてなんですが、それらの排除をお願いしたいのですが』
予想していた答えだったのであらかじめ決めておいた台詞を言う。
「何もオレを使わなくてもいいんじゃないのか、こういう時くらい魔法庁の人間に頼ってもいいだろう」
『ですが契約内容と照合してみてもスクール内での不測の事態が起きた場合クロイス様がまずその処理に当たる事になっていますが』
「………ああ、そうだがな。………………………。ったく、分かった、分かったよ。それで状況はどうなっている」
『はい、状況としましては十数体の魔獣が校庭、もしくはその上空にたむろしているという事しか分かっていません』
「なるほど、魔獣の種類は何種類くらいだ」
『はい、確認が取れている範囲では『ケルベロス』『ガーゴイル』『マンティコア』の三種類が確認されています』
「………〜〜〜。どうしてよりにもよって、んな危険なのばっか集まってんだよ」
ケルベロス、ガーゴイル、マンティコア、この三種類は魔獣の中でもかなり危険な部類に入っていた。
『現在、教師全員で結界を張っていますがそれにも限界があるのでできるだけ早くお願いします』
「ああ、わかった」
『では失礼します』
カチャッ
携帯を折りたたんでからテーブルの上におく。そのままクローゼットをあけ仕事用の服を取り出す。取り出したのは一着の黒い服だった。だがその服は見る人が見れば気を失いかねない、そんな服だった。クロイスは着替えながらやはり一つのことを考えていた。
「………タイミングが良すぎるんだよな」
…………………………。
「………はぁ」
ガヤガヤガヤガヤ。
ガヤガヤガヤガヤ。
ガヤガヤガヤガヤ。
スクールの前にはざっと見ても二百人程度の野次馬が集まっていた。そして人々が見つめる先には変わり果てたスクールが在った。魔獣が校庭を闊歩し、スクールを囲むように立っている教師達によりドーム状の結果が張られていた。
「うわー、すごいねー」
「ホント、すごいわねー」
「これ、は………なんつーか、すごいな」
ユーキ、シルビア、リータの三人は野次馬の一部に加わり呆然としていた。もう、何と言うか驚いていた。正直愕然としていた。まさか昨日まで普通に通っていたスクールがこんなことになっているなんて思ってもみなかったのだ。この状況は明らかに三人の予想を超えていた。
「まったくあいつも来ればよかったのにな」
「ホント、クロイスも損してるわねー」
「うん。………………。そーだ、私カメラ持ってきたんだ。写真、撮ろうよ」
「あ、いいわねそれ」
「えーっと、………あれ」
「どうかしたの?」
「うん、ごめんね、………フィルムが切れてた」
「あんたんね〜」
「あ、いいよ。オレ買ってくるから」
「え、でも」
「いいからいいから、ここで待っててよ。それじゃあ行ってくるから」
「うん、はやくねー」
「それじゃ」
そう言ってユーキはひとごみを掻き分けてて行った。後に残った二人はとくにすることがないので視線をスクールに戻しながら他愛もないおしゃべりをしていた。
「あっれ、シルビアさん、リータさんも来てたんだ」
声を掛けられ隣を見るとそこには同じクラスの男子が立っていた。
「あ、ソルイド君、おはよう」
「あら、ソルイドじゃない。おはよう」
「ああ、おはよう。どうしたの、二人でなんて珍しいじゃない」
「ユーキ君は今、カメラのフィルムを買いに行ってるんだ」
「へー、それじゃあ、あの無能は」
「さぁ、まだ寝てるんじゃない」
どこか棘のある口調でシルビアが答える。しかしソルイドがそれに気づいた様子はなかった。
「へっ、まあこんなところに無能がいたところで何にもできないからな、むしろいれば邪魔になるから無能にしては賢い選択だな」
「……………………」
「……………………」
…………………………………。
……………………………………。
しばらく気の乗らないままに会話を続けているとユーキが帰ってきた。
「お待たせって、あれソルイドじゃん」
「よう。さてユーキも来たことだし、それじゃあね二人とも」
「あ、うん。じゃあねソルイド」
「バイバイ、ソルイド君」
ソルイドは来た時と同じ方向に去っていた。それを少しほっとした様子でシルビアとリータは見送っていた。
「お疲れ様、ユーキ」
「ん、ああ」
二人の様子が少しおかしいと思いながらもとりあえずは当初の目的を優先させることにした。
「そうだ、はいフィルム」
「ありがとう、ユーキ君。そうだお金」
「あ、いいよ」
「そんな、だめだよ」
「いや、でも女の子にお金を払わせるのは」
「いいじゃない、リータ。奢られときなさいよ」
「でも、やっぱり」
「う〜ん、じゃあ半分出してくれるかな。俺も写るわけだし」
「うん、じゃあそれで」
いいよ、と続ける前にシルビアが声をあげる。
「あ〜。まったく、それじゃあ私も出さないわけにはいかないでしょ」
結局代金は三等分することで落ち着いた。
時を同じくしてクロイスはスクールの裏手に来ていた。こちらからでは魔獣の姿は見えないので野次馬は一人としていなかった。いつの間に現れたのかクロイスの手には先日フリー・ケネシムと対峙した時に握られていた棒があった。
「始めるとするか」
その言葉と同時クロイスは眼を閉じ集中に入った。自らの意思で閉ざしていた扉を自らの意思で押し開ける。あふれ出してくるチカラを受け入れ、恭順させ、隷属させる。
「さて」
クロイスが眼をあけると明らかな変化が起こった、グレーだった瞳が燃え盛る炎を内包しているかのような深紅に変わっていたのだ。もしスクールの生徒がこの瞳のことを知れば驚いたのだろうが今この場にはクロイス以外は誰もいなかった。
「行くか」
言うと同時クロイスに握っていた棒から銀色の刃が伸び一振りの剣に成った。この武器こそ『F2』と呼ばれるクロイスの主要武器だった。
「ライズ!」
編み上げた構成を呪文によって展開する。自分の周囲に力場が展開して体が中に浮く。2m弱ある塀の高さを越えさらに上昇していく。4mほど浮かんだ時点で上昇を止めた。目の前には半透明になる程度に光る壁、結界があった。
クロイスは剣を構えた。よく見ると剣にひび割れにも似た紋様が走りそこが淡く光っていた。
ヒュン
クロイスは欠片も迷いなく結界に向かって剣を振るった。
ヒュン、ヒュン
一閃、二閃、三閃、剣が振るわれ結界に一人分程の穴が開いた。通常大半の衝撃に対し圧倒的強度を誇る結界が、たかだか剣の一振り二振りで穴が開くなど考えられないことではあった。全てはクロイスの握っている剣によるものだった。
『破界』
この剣に秘められた能力は閉鎖空間や結界などの『固定型魔法』を断ち切る能力を持っていた。
結界の穴をくぐりスクール敷地内に入ると一直線に校庭を目指す。あたりには外からでも分かったように魔獣の姿は一匹もなかった。
「GRAAAAAAAAAAAAAAA!!」
「GARRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!」
「P I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I I !!!」
そこら中から獣の咆哮が聞こえる、決して狭くない、むしろ地価の高いこの地域でよくここまで広い土地を購入できたなと思えるほどに広いスクールの校庭は、しかし十三体からいる(数えた。種類はケルベロス八体、マンティコア二体、ガーゴイル三体だった。)魔獣のせいで今はそれほど広く感じられなかった。
「あまり見たくはない光景のひとつではあるな、今のここは」
そんなことを一人愚痴にも似た口調で呟いていると不意に一体のケルベロスと眼が合った。
「…………………」
「…………………」
きっかり三秒、無言の時が過ぎたかと思うとケルベロスは餌でも見つけたかのようにこちらに突進してきた。体長五メートルはあるだろうその体からのびる赤黒い体毛が風になびくたびに燃えているような錯覚を起こさせる。巨大な体に三つの頭、鋭い牙と爪は一撃で人間の体など引き裂いてしまうだろう。『冥府の番犬・ケルベロス』が牙をむいた。
「GRAAAAAAAAA」
その巨躯からは想像もできないスピードでケルベロスはこちらに向かってきた。あわてて回避のための魔法を編み上げる。
「ライズ!」
目の前まで近寄ってきた時点で魔法を発動させる。足下に一瞬だけ力場を発生させ、重力と相殺させる。それと同時に跳躍、六mほど真上に跳びケルベロスの突進をかわした。そして足元の力場を消すと跳んだままで次の魔法を編み上げ発動させる。
「レイン!」
編み上げられた構成が周囲に展開する。ゴルフボールサイズの光の弾が十個、音もなくクロイスのまわりに現れ浮遊していた。
「逝け!」
その言葉に従い浮遊していた十個の光弾は一斉に下にいるケルベロスへと飛んでいった。
ドゴォン!!
光弾はケルベロスに触れた瞬間、一斉に爆発した。煙があたりにたちこめる。煙の中に降り立つと肉の焦げた臭いが鼻腔を刺激した。煙がはれると体中に火傷を負い、ところどころがえぐれ、血を流し息絶えたケルベロスの死体が転がっていた。
「GRAAAAAAAAA」
「GRAAAAAAAAAAAAA」
「GRAAAA」
爆発音で気が付いたのか、臭いで気が付いたのかはわからないが残っていた魔獣が一斉にこちらを向いた。残っていたケルベロスが一斉に咆哮を上げる。そして七体のケルベロスのうち三体が真正面から突進してきた。それらを見据えながら残りの四体が周囲を囲むように左右に分かれてこちらに向かってきているのを、視界の端で確認する。ケルベロスはもともと集団で狩りをする性質を持っておりさっきのように一匹でくることはめずらしかった。そのことを思い出しながら行動を起こす。
「ライズ!」
自分の背後に力場を発生させバックスッテップ一回で十mの距離を稼ぐ。それを三回繰り返し三十mの距離を稼ぐ。目の前の三体を見据え次の構成を編み上げ、剣を携えたままの右手を前に出し呪文を唱える。
「テンペスト!」
その瞬間、三本の光の奔流が生まれる。高温を抱えた三つの光条は亜音速の速度で三匹のケルベロスを一直線に飲み込こんだ。圧倒的な高温に成す術なくケルベロスの体は消し炭一つ残さずに消滅する。光の通った後には抉れ、融解し金属に似た光沢を放つ地面と燃えそこなったケルベロスの足が転がっていた。
呪文を唱え終え魔法が発動するころにはクロイスは次の行動に移っていた。ひとまず右から向かってくる二体を無視して左に向かって駆け出す。
「GRAAAAAAA」
「GRAAAAAAAAAA」
二体のケルベロスの六つの顎と爪が目の前に迫ってくる。迫り来る爪を横に飛んでかわす。そしてそのまま横に回りこみ一体を無力化させる。
「ライズ!」
急激な方向転換で体が悲鳴を上げるが無視して横を向いている敵に突っ込んでいく。
ザシュン、ザン、ザシュン
首、前足、肩口にそれぞれ一太刀ずつ入れる。
「GRAAAAAAAA……AA……A………」
それぞれが大きな血管を傷つけたのだろう。血を盛大に噴出しながらケルベロスは動かなくなった。それを確認しないうちにケルベロスの体を蹴り後ろへ跳び、一瞬の集中の後、魔法を発動させる。
「テンペスト!」
光の束は目の前にあるケルベロスの死体、そしてその向こうにいるケルベロスを飲み込んだ。粉塵が巻き上がり、あたりに熱波の余韻が広がる。二体を倒したことに安堵する暇無く背後からは残りの二体が迫っているのが足音で分かった。慌てて振り返ると一体が跳躍し襲い掛かってきていた。迫り来る爪の軌道を何とか剣でずらす、そのまま可能な限り体勢を低くして前に駆けることでケルベロスの体の下をくぐり突進をかわす。しかしその時まったく予想していなかった方から攻撃が来た。
「SYAAAAAAAAA」
唐突に右から大蛇が襲い掛かかって来た。開かれた口から覗く牙から黄色がかった毒液が垂れていた。
「ッつぅ」
勘だけを頼りに身をよじり、かろうじて大蛇の牙から逃れる。
ピシャ
垂れ落ちた毒液が地面に触れそこから煙がたち上がり、ジュウジュウと音をたてながら溶解している。背筋が冷たくなるのを堪えて視線を向ける。
そこにはケルベロスにも負けないくらいの異形の獣がいた。獅子の頭と体、体からは猛禽類に似た翼が備わっていた、本来尻尾がある場所からは先ほどの大蛇がくっついていた。
『毒の獣・マンティコア』。ケルベロスとの戦いに気をとられているうちにいつの間にかマンティコアも『狩り』に加わろうとしていた。
(マンティコア二体とケルベロス二体か。急がねーとこっちが不利だな)
「GRAAAAAAAAAA」
「SYAAAAAAAAAAAAA」
「GARRRRRRRRRRR」
ケルベロスとマンティコアそれぞれ一体ずつが襲い掛かってくる。バックステップでマンティコアの獅子の牙と大蛇の牙をかわしケルベロスの爪を剣でいなしていく。
「GRAAAAAAAAAA」
何回か同じことを繰り返していると戦いに加わらずの少し距離をとっていたケルベロスが鋭い咆哮を上げた。そして次の瞬間三つの口からそれぞれ漆黒の炎が噴出された。
「くっ」
一無いし半瞬で構成を編み上げ魔法を発動させる。
「エッジ!」
荒れ狂う風の爪が炎を切り裂き掻き消してしまった。
ザシュッ。ザシュン
炎を切り裂いた風の爪はそのままケルベロスをも切り裂いていた。
「SYAAAAAAAAA」
「GARRRRRRRRRRR」
「GRAAAAAAAA」
二体のマンティコアとケルベロスが怒り狂ったように襲い掛かってきた。
「いい加減」
その瞬間クロイスの表情から一切の感情が消えた。
「死ね」
無の表情を浮かべ、感情の無い声を、冷たく、言い放った。
「ストーム!」
クロイスを中心に半径八メートルの範囲に『レイン』の時に見せた光弾がそれこそ百単位の数で現れた。
「GRAAAAAAAAAAAAA」
「SYAAAAAAAA」
「GARRRRRRRRRR」
ケルベロスは炎を、マンティコアは蛇と獅子、それぞれの口から毒液を飛ばし中に浮かんでいる光弾を消しながら道を作ろうとする。
「消えろ」
その言葉を発動式とし、音も無く浮遊していた光弾は一斉にクロイスの周囲を旋回し始める。その姿はそれこそ竜巻のようにも見えた。
いくつもの断末魔と爆発音は不協和音を奏でる。後にはただ三つの焼け焦げた肉塊が転がっていた。
スクールの前にいた野次馬達は騒然となっていた。結界の向こう、唐突に現れた、たった一人の人間が魔獣相手に戦闘を起こし次々と打ち負かしているのだから無理もないだろう。
「なな、なに、どうなってんのよ、これ」
「わかんないよ、シルビア」
「ユーキ、あんた男でしょ、なんか分かんないの」
「無茶言うなよ、ただでさえ結界であっち側は見えにくくなってるのに。大体この状況で男も女もかんけー無いだろ」
「だってありえないでしょ、一人であれだけの魔獣を相手にするなんて」
「でもでも、さっき理事長が魔法庁の人だからって言ってたし」
「それでも、いくら魔法庁の人だからって」
……………………………。
こんな会話がそこいら中でなされていた。唐突に現れた人間は一体何者なのか?さまざまな憶測が飛びかっていた。
「ふー、後残っているのは」
そこでクロイスは言葉を止め空を見上げた。そこには奇妙な物体が浮かんでいた。
石像
一言で表すならばこの言葉に尽きるだろう。だがそこに意味も無く石像が浮かんでいるわけも無く、ましてその石像はあまりにも変わった形をしていた。悪魔の像から頭と手足だけを持ってきてそれを子供一人がぎりぎりは入れそうな石櫃にくっつけたような格好をしていた。
かろうじて鈍く光る瞳が“ソレ”は生きていることを主張していた。またその手には二メートルほどの身長のゆうに倍はあろうかという三叉槍が握られていた。見方によっては今迄で一番異形の存在であるそれこそが人語を解し意思疎通の出来る極めて稀な魔獣、『狡猾なる無機物・ガーゴイル』だった。この三体はクロイスが他の魔獣と戦っている間、その一部始終を戦闘に加わるでもなくただ傍観していた。
「お前らだけか」
「オマエハナニモノダ」
三体の内真ん中に浮かんでいた一体(おそらくはこいつがリーダーなのだろう、見分けは付かないが)が声をあげた。
「単なる嘘つきだよ」
「ソレハ、ワレワレノノゾンダイミデノコタエデハナイ。モウイチドトウ、オマエハナニモノダ。ホントウニニンゲンナノカ」
「……………、クッ、ハハハハハ、なるほど、お前らから見てもオレは人間の規格の外にいるのか」
笑いながら、それでもどこか自嘲めいた声でクロイスは言った。
「だが残念だったな、オレは人間だ、神の寵愛をうけた、な」
「カミノチョウアイ、ダト。マサカ」
「ああ、『ラッシュアーツ』さ。悪いがこれ以上は話す気は無いんでな、終わらせるぞ。テンペスト!」
ケルベロスの時と同じように三条の高温の光が、矢のようにガーゴイルに向かって放たれた。後はその光に飲み込まれあの不気味な宙に浮く石像は(ガーゴイルがどうやって浮いているかはまだ解析されていない)なす術無く蒸発して終わり、そう思っていた。だが、
ガコン!
テンペストがガーゴイルを捕らえたと思った瞬間、胴の部分が本当に石櫃のように開いたのだ、そこに垣間見えたのは『闇』そのものだった。何も見えなかった、では済まされない。なにかを感じることすら出来なかった。『無限の闇』とも言うべきものがその石櫃には広がっていた。だが驚くべきはそこではなかった、当たると思われたテンペストが石櫃に吸い込まれ
バタン!
石櫃の扉が再び閉じるとそこには無傷のままガーゴイルが浮遊していた。
「なっ」
「ムダ、ダ」
「んだと」
「ムダトイッタ、ワレラガタズサエシ、コノ『ヤミ』ハ、スベテヲクラウ、タトエソレガ、ラッシュアーツ、ノチカラデアロウトモ」
「そんなことはやってみなけりゃわかんねーよ。レイン!」
十個の光弾がガーゴイルめがけて飛んでいくがやはり結果は同じだった。
「ムダ、ダ」
「エッジ!レイン!」
立て続けに二発の魔法を浴びせる。ソレに対しガーゴイルはというと正面から来る光弾を吸い込み、残り二体が右からなぎ払うように来る風の爪に体を向け攻撃を吸収した。
「テンペスト!ストーム!」
この攻撃に対してもさっきと同じように真正面から来るテンペストを一体が吸い、左右を二体がカバーしてストームを吸いこんだ。
「ムダトイッテイル」
「エッジ!」
ガーゴイルの声を打ち消すかのようにクロイスは叫んだ。しかし風の爪はやはりガーゴイルに吸い込まれた。
「アキラメガワルイナ、キサマノコウゲキハ、ワレラニハツウジナイ」
「………………………」
「ドウシタ、トウトウアキラメタカ」
「…………………、へっ、攻撃が通じないか。果たして本当にそうかな」
「ドウイウコトダ」
「こういうことだよ、ハリケーン!」
呪文を言い終わると同時、ガーゴイルの周囲を光弾が取り囲む。しかしその規模はストームの比ではなかった。
「コレハ…………」
「気が付いたんだがお前らってさぁ攻撃を吸い込むとき、必ずその攻撃に対して真正面を向くんだよな。まぁ気が付いてみると簡単なことではあったな。いくらその石櫃がどんな攻撃を吸い込むといっても開いてる穴は一つしかないわけだし。だったら石櫃の穴が向いてない方からの攻撃は効くはずだな。さて上下、前後、左右。三百六十度、全方向からの攻撃に果たしてお前達はどこまで耐え切れるかな」
「ナッ」
「くたばれ」
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
「もしもしレイラか、ああオレだ。とりあえず校庭にいたのは全て倒した。………、ああ、それで親玉は、………中庭だな。分かってる、これからすぐに向かう」
携帯を懐にしまう。
「さて、中庭だったな」
ザッ
そう言ってクロイスは歩き始めた。後には粉々になった石のかけらが散らばっていた。
「GAAAAAAAAAA」
「マジ…かよ。」
裏庭にはおおよそ最悪の光景が広がっていた。
「ケルベロス、マンティコア、ガーゴイルと来て最後の最後でヒドラとは、な」
そこにいたのは体長八m、体重十トンはあるだろう一体のヒドラだった。最高位の力と最高位の寿命、そして最高位の知能。魔獣の中でも最強種とされている『ドラゴン種』の一つ。その姿を見ることすら稀にしかないとされている種族の一体『雷帝・ヒドラ』が今、目の前で敵意をむき出しにしてこちらを睨んでいた。
「んでもってきっとあれが今回の犯人なんだろうなー」
ヒドラの足元には噛み千切られバラバラになった血だらけの死体が転がっていた。
「馬鹿ばっかりだ」
「GAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
一声啼いたかと思うとヒドラが雷を放ってきた。
「いきなりか」
横に飛んでかわす。しかしそこにヒドラが突っ込んできていた。日本刀程度の長さの爪が三本まとめて襲い掛かってきた。
「ライズ!」
横向きに飛んでいた体が一瞬で後方に引っ張られる。急激なその変化に体が軋み意識を持っていかれそうになった。飛んでいる最中に剣は手放しておく、受身を取るときに自分を斬ってしまう恐れがあったからだ。そのまま地面に打ち付けられそうになりながらもすんでのところで受身を取った。
「つぅーっ」
受け止めることは論外だった。あの巨体だ、一瞬で押しつぶされるだろう。となればかわすしかないのだが、ヒドラのスピードは思いのほか速かった。
「GAAAAAAA!!!!!!!」
ヒドラが啼くと今度はバスケットボールほどありそうな雷球が八個現れ、それらが一斉に襲い掛かってきた。
「ッ、アーマー!」
クロイスの眼前が陽炎のように揺らめく。そして不可視の壁にぶつかったかのように雷球がはじけ閃光を放った後、消滅した。
「テンペストォ!!」
「GAAAAAA!!!」
クロイスが光熱波を放つと同時、ヒドラが巨大な雷を放った。二つがぶつかり合った瞬間、閃光と共に爆音が周囲にこだました。
「閉鎖空間!!」
言葉と共にクロイスの左手の指輪が光った。
「G…AA……A」
全身から痛みが伝わる中ヒドラが眼を開けた。見てはいないがおそらく体中傷だらけになっているだろう。あの人間の若者はどうなったのだろうと思った。ヒドラの自分ですらここまでダメ−ジを受けたのだ、もしかしなくとも死んでいるだろう。少し惜しい事をしたかもしれない、あれだけ戦える人間はそうはいない。もう少し楽しんでも良かっただろう。そこまで考えてから周囲に眼を向けると景色は一変していた。タイルは剥がれベンチはひしゃげ木は炭化していた。予想通りの光景にだがひとつおかしなものがあった。
「もう、そろそろか」
箱
そう、ひとつの箱がクロイスのいた辺りにあったのだ。乳白色の一メートル四方の箱。それが音もなく浮かんでいた。
ピシィ
甲高い音と共に箱に亀裂が入ったかと思うと一瞬で箱は砕け消えた。後にはクロイスが無傷で立っていた。
「酷いもんだな。デイサスにまた文句言われかねねぇな、こいつは」
そう、一人ごちながら視線を巡らせると傷だらけのヒドラがいた。
「よお、ひでぇ格好だな」
「…………閉鎖空間ダト」
「ご明察」
「一体何者ダ人間、神ノ寵愛ヲ受ケタ空間師ノ存在ナド聞イタコトガ無イ」
「何者か、ね。最近多いな、その質問。まあ質問に答えるならただの嘘つきだよ。そして空間形成の理論なら解析されていまどき使おうと思えば誰でも使えるぞ。さて、んじゃこっちからの質問だ。いつオレが神の寵愛を受けたと知った」
「ソンナコトミレバ分カル」
「図体に似合わず意外と細かいな」
「フン」
「まあいい、じゃあ二つ目の質問だ、お前らを呼び出した人間をどうして殺した」
「身ノ程ヲ教エタマデダ、タカガ人間風情ニ使役サレル我デハナイ」
「なるほど、じゃあ何も情報は持ってない…か。おい」
「ナンダ」
「もう死んでいいぞ」
「ナッ」
「レイン!」
十の光弾が一斉にヒドラに向かっていく。しかしヒドラはそれら全てを雷で打ち落とした。
「アレダケノ事ヲ言イナガラコノ程度カ」
そう言いながらクロイスを見るがしかしそこにクロイスの姿は無かった。
「お前がな」
左から声が聞こえた。ヒドラはあわててそちらを見るがそこに見えたのはいつの間に回収したのか、剣を振り下ろすクロイスの姿だった。
斬!!
「血の臭いか」
全身にヒドラの血を浴びて、呟いた言葉はただの事実確認だった。足元に転がるのは首の切れた一体のヒドラ。出来上がったのは血の海、漂う臭気は気を失いそうなほど酷いものだった。
「さーて接続機はっと」
いったんそれらを無視して意識を接続機に向ける。クロイスが視線をめぐらせるとまぶしいくらいに光を発している鏡があった。
「あったあった」
そういいながらクロイスは接続機に向かって歩を進めた。接続機、混沌界とよばれる並行空間とこちらの世界とをつなぎそこに住む人ならざる者達を召喚するという使いようによっては大変危険な道具だった。
「まぁ今回がその危険な使い方だったんだがな、ったく、どうしたもんかねこいつは」
デイサスからは回収して来いと言われている。しかしあまり気が進まなかった、ただでさえ警備がゆるい上に今回のことでスクールにあることはすぐに広まるだろう、そうなると今回と似たようなことが起きる確立はかなり高いわけで。………考えることはそこで中断した。本当に必要なことは後腐れ無く、禍根無く、後悔が残らないように、それでいて自分の負担が可能な限り少なくすむように、だ。
「まぁいいか、本当に必要ならまた用意するだろう」
そこまで言って接続機を手に取り、真上に放り投げる。そして
パキィィン!
何のためらいもなくクロイスは接続機に剣を叩き込んだ。
「そもそもこんなもんは無いに越したことはないんだ」
それだけ言うとクロイスは踵を返した。懐から携帯を取り出し「終わった」と一言だけレイラに連絡をいれ携帯をしまった。
「さーてと、帰って寝るとするか、どのみち明日は忙しいだろうしな」
少なくともデイサスに一連の報告、さらに今朝のユーキの様子から言って野次馬に来ている可能性は高そうだった、だったらその相手もしなければならない。
「おっ」
教師達にレイラが報告したのだろう。ふと空を仰ぐと、結界が早くも解かれ始めその向こうに呆れるくらいに晴れた空が広がっていた。
「明日は寝る暇はなさそうだな…………」
どこか諦めたかのように呟く、そう言うクロイスの瞳はいつものグレーに戻っていた。