第四章『読書とお仕事〜過去との出逢い〜』
「久しぶりだな、ここに来るのも」
クロイスはソレを見上げながら一人つぶやいた。目の前にあるのは見上げるほどに高い白亜の壁。形作られているのは巨大な六角形。
魔法庁本部
セントラルグランドに位置する世界でも最大規模の質量を誇るその建物こそが世界の中心だった。
「そろそろ出てきてもいいころだな」
その言葉が終わるか終わらないかの間にクロイスの視界に一つの影が現れた。その影はまっすぐにクロイスの前まで来ると進路をふさぐように正面に立った。影のように見えたソレは黒い服とズボン、さらに黒い帽子をかぶった体格のいい男だった。
「失礼ですがどういった御用でしょうか?もし用がないのであれば速やかにお立ち去りください」
ぶっちゃけ彼は警備員だった。
「人と会う要件があってな。すまないがジーニ・ホルンに取次ぎを頼みたい」
「………すいませんがどのジーニ・ホルンでしょうか?」
怪訝な表情を浮かべながら少しの間をおいて警備員はたずねてきた。
「六星賢者のジーニ・ホルンだ」
「………………失礼ですがお名前を」
さっきの倍ほどの間をおいて警備員はたずねてくる。その表情は控えめにいっても“ナニ言ってんだこのクソガキ”といった感じの表情だった。
「クロイス・カートゥスだ」
「………………わかりました、少々お待ちください」
怪訝な表情をもはや隠しもせずに警備員はクロイスに告げると詰め所の中に戻っていった。
「システムの問題とはいえ、定期的に警備員を変えるのは面倒だな」
そんなことを一人ごちながら思う。一年半。長いようで短いこの時間はやはり短いようで長いものだったのだな、と。そんなことを漠然と考えていると警備員が戻ってきた。
「お待たせいたしました。ジーニ様が六室でお待ちだとのことです」
「そうか、わかった」
「それと先ほど対応に不備があり失礼いたしました」
そういって警備員は頭を下げる。とりあえずこちらのことをジーニと直接コネクションのある人物だと理解したようだ
「気にするな、あんたはあんたの仕事をしたまでだ」
そういって警備員の脇を通り過ぎてしばらく歩を進めた後、目の前に建つソレに目を向ける。
「こういう時は『ただいま』とでも言うべきなのかな」
苦笑混じりにつぶやいた言葉を連れてクロイスはあまりにも大きすぎるわが家へと一年半ぶりに帰宅した。
六室
教室程度の広さを持ち円卓と椅子六脚以外は何も無いこの部屋こそが六星賢者同士が部外秘の会議を開く際などに用いられる部屋である。またこの部屋に入ることが許されるのは原則六星賢者だけであり、唯一例外として六星賢者の招集した人物に限られていた(ちなみに前回ダミアンとジーニが話していた部屋)。
「ひさしぶりね、クロイス」
その扉を開けると同時にひとつの言葉がクロイスを出迎えた。
賢人会所属の証である白い法衣を身にまとい、腰まで届く長い黒髪を揺らしながら軽い笑みとともにこちらを振り返ったのは一人の女性だった。
「久しぶりだな、ババァ」
それまで笑っていた女性の表情が一変して怒りへと変わる。
「なっ、だからどうしてダミアンがジジィで私がババァなのよ。ダミアンは六十四歳で私は二十六歳よ、もう少し言い方があるでしょう」
「知ったことか、オレからすればどっちも似たようなもんだよ」
「まったく、相変わらずね、クロイス、一年半も姿を見せないで」
そういって目の前に立つ女性は柔らかい表情をみせる。それが『六星賢者第一席ジーニ・ホルン』との再会だった。
「別に顔を見せる用事も無かっただろう」
「用事が無くても普通は顔くらい見せに来るものなの、アリアも寂しがってたわよ。だいたいあなた御両親のお墓参りも行って無いでしょう、この間行ったら管理人さんが一度も来てないって言うから驚いたわよ」
「死んだ人間に用はねーよ、大体骨の一欠けらも無い墓になんざ参る意味も無いだろう」
「まったく………それにあなた、いつの間にデイサスと個人契約なんか結んでたのよ」
「自分と関係の無い人間に学費を出させるわけにもいかないだろう」
「だからー………まったく、それが久しぶりに会った姉に対して言う言葉?」
「自称だろ。忘れるなよ」
「家族にだったら必要ないでしょ。それともまだ、家族と認めてくれないの?」
「あきらめることだな。これまでも、これからも認める気なんざ微塵も無いんだからな」
「………アリアにも同じことが言えるの」
「………言えるさ、それとも言えないという答えを期待したか?………それに殺戮人形にそんなもんが必要だと思うか?」
寂しげに言うジーニにクロイスは皮肉げな笑みで返した。ただ端から少し感情が漏れているようにもみえる表情だった。
「変わってなかったのね、本当に」
「変わっていたらこの場に俺は必要なかっただろう。ババァ、お前だってオレがキリングドールだからこそ呼んだんじゃないのか」
「…………そうね、認めたくないけどあなたがキリングドールであったことに六星賢者のジーニ・ホルンとしては喜ぶべきだったのでしょうね」
「まあいい、こんな話をするために呼んだわけじゃないだろう。とっとと本題に入ったらどうだ、まぁ大体の予想はつくがな」
そういってクロイスは腕を組んで近くの壁にもたれかかった。それを見て少し迷ったようだったが結局何も言わずジーニは円卓に配置してある椅子の一つに座った。
「そうね、………………あなた、十と七日前、テンプル騎士団と接触を持ったらしいわね」
「ああ、接触といってもテンプル騎士団が雇った男だったがな、腕の立つほうだったと思うぞ。普通の中では、な。ちなみにその時ブラックパウダーエイツのフリー・ケネシムとも会ったぞ」
「ええ、デイサスからの報告で聞いているわ。じゃあ、あなたの持っている情報を出してもらえる。その後でこっちの情報を渡すわ」
「ああ、こっちの情報としては、第一にテンプル騎士団の頭のすげ替えが起こった。ちなみに頭の正体はまだ掴めてはいない。第二にスクールに侵入した男を雇ったのは元騎士団副団長レン・イノシンだということ。第三に組織内部にかなり変動があったということ。さっき言ったレン・イノシンも今やただの部隊長だそうだ。第四にブラックパウダーエイツの頭『教師』はいずれ姿を現すそうだ。」
「最後のはどういうこと?」
言われた意味がわからなかったのだろう。キョトンとした顔でジーニがたずねてきた。
「深い意味は無い、ただフリーがそういってたんだよ」
「そう、レン・イノシンのことはデイサスの報告には無かったわね。どこで知ったの」
「は?どこでもなにも全部一緒に聞いたんだが」
「そうなの?」
「…………はぁー…、いつもながら微妙に役に立たないな、あの男は」
「ふふっ、ほんとうね」
あきれ口調のクロイスに微笑しながらジーニが返す。しかしその笑みは話の内容より少しでも感情を出したクロイスを喜ぶような笑みだった。
「とりあえずこっちの情報はこの程度だ、さて今度はそっちの番だ」
「そうね、大まかな情報は一緒だけどテンプル騎士団団長と構成員そしてその動向について少しつかめてるわ。まず団長についてなんだけど、名前、性別、年齢は不明、ただひとつつかめている情報は団長が超能力を保持しているということね」
「能力はどのタイプだ?」
「死者使役法よ」
その言葉にはさすがにクロイスも驚いたようだった。
「はっ、死者使役法か。また厄介なやつだな」
「そうね、まだ反魂術の方が救いがあったわね」
「大差ないさ。どっちも死んだ人間をまた働かせるんだ。無粋なことには変わりない。ただ………死者使役法か」
「そうよ」
「まぁいい、それより構成員についてはどうなんだ」
「そうね、団長がそうであるように構成員にも超能力保持者が何人か増えたようね、把握できてる範囲では空間師が何人かが確認されているわ。それにこの二人は有名どころよ。対魔抗体・霧散型ラーシル・リスター、それに元素操術者ウルフ・ヤギナの入団が確認されているわ」
「ラーシルにウルフだと、裏業界での有名人じゃねえか。あの二人がよく組織に入る気になったな」
「何かよっぽど素敵な条件でも出されたんでしょう。それでここ最近の動向なんだけど、主に二通りね。ひとつは道具集め。主に古代魔法師の遺産を回収しているようね」
「遺産か、とりあえず魔法庁が所有しているのがオレのF2。ババァのエレメントブラスト。根暗のデスサイズ。ダンマリのグラビディスライサー。処女のスロウスロウ。サドのキャットテイル。ジジィのホーリーホーリー。アリアのグングニル。それに持ち主不在のカドゥケウスの九つか」
指折り数えるクロイスにジーニが辛辣に言った。
「あなたねぇ、あだ名をつけるにしてももう少しマシな言い方が………って今フィアのことなんて言った?」
「ん?処女だが」
それがどうしたと言わんばかりにクロイスが言ってくる。
「はぁ〜、あの子って………そうなんだ。…って」
感心したような、どこかあきれたような口調でジーニがつぶやくがその表情が突然驚き慌てた表情に変わった。
「どうしてあなたがそんなこと知ってるのよ!?」
「どうしてって、確かめたから」
「確かめたって………どうやって」
ジーニの反応を楽しむようにニヤニヤしながらクロイスは言った。
「ん、どうやって、ってただ同じベットに入って服脱がして濡らして、それでいざ本番て時に処女だって言うからさすがに遊びで処女もらうのも悪いと思ってな、そこでやめたんだよで、それがスクールに入る前だったからそれよりこっちフィアにそういう噂が無けりゃあいつはめでたく処女のままってわけ」
クロイスが言い終わるころにはジーニは頭を抱えていた。
「あなたねぇ!」
そしていきなりキレ始めた。
「姉としていろいろ言うことがあるけど」
「ウソ」
「………………え?」
「全部ウソだよ。あんなババァに手ェ出すほど飢えちゃいない。フィアが処女って言うのは本当だけど」
「じゃ、じゃあどうして知ってるのよ」
「スクールに行く少し前にフィアがオレのことを童貞って言ってきたからお前はどうなんだって言ったら泣きながら走って逃げたから、まぁ処女なんだろ」
「……………………………はぁ〜〜〜〜〜〜」
長く重いため息を吐いた後ジーニは半目をこちらに向けて、
「くだらないこと言わないの!!」
怒鳴った。
「…………耳が」
キ〜〜〜ンとなった。
「話をもとに戻すわよ」
「…………耳が」
………痛い。
そもそも魔法師は呪文を扱うために声の大きさがハンパなかったりする。その上閉め切った上にそこまで広くない部屋だ。当然の結果ともいえる。
「いつまでうずくまってるの、早く起きなさい」
「誰のせいだ、いきなり怒鳴るな」
恨めしげに言いながら立ち上がる。耳はまだ少し痛かったが。
「怒鳴られること言うからでしょうが。たまに冗談言ったかと思えばこれなんだから」
「へいへい、んで話をもとに戻して騎士団の動向のもうひとつは何なんだ?」
まだ片耳を手で押さえながらクロイスは言った。ジーニはまだなにか言いたそうだったが話をもとに戻した。
「もう一つは人さらい。こっちはおそらく団長の死者使役法のためね」
「なるほど。んで」
「こっちの情報も以上よ、ブラックパウダーエイツの情報はまったく無いわ」
「そうか、それじゃあこっからが本題だな。わざわざダミアンに使いを頼んでまでオレを呼んだんだ。それで俺にどんな仕事を任せるつもりだ」
「そうね、あなたには二つの仕事を同時進行で頼むつもり」
「ふたつ?」
「ええ、一つ目はある人物の護衛。そしてもうひとつは………」
そこまで言うとジーニは携帯を取り出し一言二言話すとまたすぐ別のところに電話を掛けた。そしてそっちでもすぐに話を切り上げて改めてクロイスの方へ顔を向けた。
「少し待ってくれる、こっちの用件は少し複雑だから当事者がいた方が話しやすいわ」
「かまわないさ、ただその間に先にあがった仕事についてなんだが」
「ええ」
「護衛という仕事については文句は無い。今までも何度かはしたことがあるしな、ただ」
「ただ?」
「護衛相手の情報を出さないのはどういうことだ?」
「ああ、そのことね。ごめんなさい、護衛相手の特定がまだ済んでないのよ」
「済んでない?」
「ええ、簡単に言うとあなたに護衛してもらいたいのはつぎにテンプル騎士団がさらおうとしてる人物なの」
「なるほど、つまりまだ誰をさらおうとしているか確定できてないってわけか」
「ええ、その通りよ。まあそれでもある程度の特定はできているの。だから今その人物たちには特魔隊の隠密部隊に護衛についてもらっているから何かのアクションを仕掛けてきた場合にあなたにはその現場に行きてもらって護衛対象の確保、そのまま護衛任務についてもらうつもり」
「わかった、それで」
コンコン
どの程度まで特定できているんだ、という言葉をノックの音がさえぎった。
「あら、来たみたいね。でもさっき何か言いかけていたのは」
「いや、別にいい」
「そう?入ってもいいわよ」
ドアの向こうに呼びかけると一人の人間が現れた。
「お待たせいたしました、ジーニ様」
現れたのはジーニと同じく賢人会所属の証である白い法衣を着ている一人の女性だった。年齢はジーニより上の三十代なかばといったところか。髪を後ろでまとめ、柔らかな雰囲気をまとっていた。そしてその女性を見た瞬間クロイスは一瞬思考が停止した。
「こっちこそ忙しい中わざわざ呼びつけたりしてごめんなさいね」
「アリ……ア」
クロイスはようやくのどの奥から声を捻り出して女性の名前を呼んだ。
「ふふ、久しぶりね、クロイス。元気だった」
アリアと呼ばれた女性はそう言ってクロイスに笑みを向ける。この女性、アリア・エスリアこそがこの世で唯一クロイスが邪険にできない人間だった。
「あ、ああ。…そっちも元気そうだな」
「ええ、おかげ様で」
そういってアリアはクロイスの前に立つ、そしておもむろにクロイスを抱き寄せ頭を撫で始めた。その行動に一瞬あっけにとられるが、慌てて離れる。少し残念そうにしながらもアリアはクロイスにまるでわが子を愛しむような表情を見せながら話しかける。
「相変わらず照れ屋さんね。どう?スクールは楽しい?」
「特には…」
「そう、友達はできた?」
「特には…」
「そう?ふふ、急に入ってきておどろいた?」
「…いや別に」
「ウソつきなさい、思いっきりビックリしてたじゃない」
それまで黙っていたジーニがどこか楽しそうにクロイスに言った。
「それにもう少し嬉しそうにしなさいよ。せっかくの親子感動の対面なのよ」
「………うるせぇよ、それに親子じゃないだろう。ただの保護者だ」
「ふふ、いいんですよ。ジーニ様。ねぇクロイス」
「まったく」
アリアの笑みに対しクロイスは無言で、ジーニは苦笑混じりに返した。
「それとアリア、その敬語やめてほしいんだけど」
「どうしてですか」
「照れくさいのよ、アリアに言われるのは」
「ふふ、ジーニも相変わらずね、こんな感じで?」
「ええ、それのほうがいいわ」
そういって二人は笑みの交換をする、クロイスは罰が悪そうに窓の外を見ていた。
コンコン
そのとき再び扉がノックされた。
「どうぞ、入っていいわよ」
「失礼します」
そういって二人の人間が姿を現した。一人は魔法庁の一般の女性職員だった。そしてその職員に支えられるようにして一人の少女が姿を現した。女性の職員はその少女を椅子に座らせるとそれぞれに礼をして退室した。それを見届けてからクロイスは目の前に座る少女を観察する。薄い茶髪のセミロングに整った顔立ち、身長はクロイスより十センチほど低いだろうか、年で言えばクロイスと同じかひとつかふたつ上のようだった。美人、なのだろう。だがそれらを無視して印象につくのはその少女があまりにも弱っているということだろう。だが別に体が痩せ細っているわけではない。無気力、というのが一番近いかもしれなかった。
その少女を見た瞬間クロイスは強烈な既視感に襲われた。『以前にも感じたことがある』どころでは済まされないこの雰囲気。まるで今すぐにでも消えてしまいそうな。
(この感じはまさか………)
「彼女の名前はマージ・フォイル、年はあなたよりひとつ上の十八。そして、………ここから先は言わなくてもわかるでしょう」
「神性芸術品………なのか?」
視線は目の前に座る少女マージに注いだまま答える。しかしマージはピクリとも動かない。
「ええそうよ、彼女も……神性芸術品保持者よ」
「それで、状態は?」
「声を失ったのと軽い自閉症ね、まだあなたの時よりは軽い症状よ」
「なるほど、………誰だったんだ?」
「それは………」
「二度言わせるな、誰を失うことになったんだ」
「………あなたと同じよ、彼女もご両親を失ったの」
「そうか、………そうか」
そういってクロイスは目を伏せる、それは何かを堪えているようでもあった。
「昔を、思い出したの?」
「………さあな。まあいい、それで俺の仕事というのは?」
「ええ、あなたにはアリアと共同で彼女の保護を頼みたいの」
「…………は?なんだと?」
「アリアと共同で彼女の保護を頼みたいの、と言ったのよ。すでにアリアは承諾してるわ」
「馬鹿かお前は。オレがどうしてそんなことしなけりゃならねーんだ」
「私がジーニに言ったのよ」
それまで黙っていたアリアが声を上げる。
「どういうことだ、どうしてオレが必要になる」
「あなたなら、…同じ経験をしたあなたなら私たちが気づかないことまで気がつくと思ったのよ」
「だが倫理的にはまずいだろう」
「あら、その点なら大丈夫よ。クロイスは優しくて紳士的だってことはじゅうぶんわかってるから」
「メインはあなた、アリアには補助と言う形をとってもらうつもりよ」
「よろしくね、クロイス」
そういってアリアは微笑む。そして残念なことにクロイスがその笑みに勝てることはあまり多くなかった。
「まあ改めて自己紹介をしておこうか、名前はクロイス、クロイス・カートゥスだ。歳は十七歳。あんたの保護を頼まれた、まあどこまでできるか疑問もあるんだがよろしくな」
だが目の前に座る少女は特に反応を示さなかった。そのことに苦笑しながらクロイスは周囲を見回す。そこにあったのは一年半前まで使っていた魔法庁内部にあるクロイスの私室だった。かなり広いその部屋には仕事用のデスク、簡易ベッドにもなるソファ、簡単な炊事場、今自分達が座っている来客用のソファ、壁際には大きな本棚がいくつもおいてある。そして入り口から見て左右の壁に一つずつ扉がついていてそれぞれ寝室と研究室につながっていた。
(本当にそのままだったな)
ここにはクロイスとマージ以外の人影は無い。
「あなたの住む場所はそのままにしてあるから、マージもそこに案内してあげなさい」
六室でジーニに言われたときはさすがに驚いた。まさかいくら保護するとはいえ同じ部屋で暮らすことになるとは思わなかった。とは言ってもマージには寝室を使ってもらい自分はこの部屋で寝るつもりだが。そしてジーニたちと別れマージをこの部屋につれて来て現在に至るわけだが、
(本当にそのままだな)
同じ感想をもう一度心の中で呟く。自分が一年半前にこの部屋を後にしたときアリアはいつでも帰って来いと言っていた、いつ帰ってきてもいいようにしておくと。改めて部屋の中を見回せば、いつでも自分の居場所を用意しておいた、と物語っているようにも思えた。そこで物思いにふけるのをやめる。自分にそんなことは似合わないし、第一目の前でこうも沈みきっているマージをこのまま放っておくわけにもいかなかった。
(しかし、どうしたもんかな)
掛けるべき言葉が見当たらない。何か言ってやるべきだと思う、しかし同時になにを言っていいのか分からないことにも気がついた。
自分はどうだったのだろうと考える。自分の時はどうだったのだろうと、アリアが自分に何を言っていたのか。思い返して気がついたのはアリアの言葉は彼女が言ってこそ初めて意味を持つものだったという事。その事実から気がつくのはマージには自分の言葉を、クロイス・カートゥスの言葉を掛けなければならないと言うこと。だから言う、自分にしかいえない言葉を自分にしかできない行為と共に。
「あんたも神性芸術品保持者か」
その言葉にはじめてマージが反応を見せる。下を向いていた顔をこちらに向けたのだ。浮かぶ表情は疑問。だから見せる。自分も同じなのだと、同じことを味わったのだと。だがそのことでマージの気持ちを理解することができるとは思わない。人の気持ちを理解できる人間はこの世にはいない、それは自分自身の気持ちすらも。ただ少しでも近づきたい、そう思うから同じだという事を見せる。
紅い左眼
神性芸術品ラッシュアーツ
運命を狂わされた者につく美しく悲しき烙印、たったひとつと引き換えに他の全てを手にできる神の授けた瞳を。
マージの表情が疑問から驚きに変わる。そのことに安堵を覚える。まだ感情を出せるのだと。
(オレの時よりはだいぶ軽いか)
そんなことを考えながら話を進めることにした。
「理解してもらえたか?オレもあんたと同じ神性芸術品保持者だ。発現したのはもう七年も前になる、それでここに連れて来られたんだが、その時はまあひどいもんだったな」
思い出すのは真っ暗の部屋としつこく話しかけてくれた、たった一人の女性。
「たぶんオレがしてやることはそう多くない、ここで暮らす以上オレに何かを期待するな。必要なことがあれば言ってくれ。人に気を使うのは苦手なんだ」
苦笑しながらそう言うとマージがうなずいてくる。声も無い小さな動作。だがそれは魔法庁に訪れてからマージが初めて自分から起こした行動だった。そのことは知らないクロイスもはじめてリアクションが来たことに二度目の安堵を覚えた。
「そうだな、さっき一緒にいたアリアと言う女性は信用してもいい。彼女に任せておけば少なくとも悪いようにはしないから。…………ここであんたがどんな選択をしようと誰もそれを責めない、神性芸術品を隠しながら生きるのも、神性芸術品を利用して生きるのも。ここには神性芸術品保持者だと言うことを隠しながら生きているやつは何人もいる。逆に神性芸術品保持者であることを隠していないのはオレくらいだな。」
笑いながら言うとマージは驚いた様子だった。当然だな、と思う。持っているだけで忌み嫌われるものを隠すのは当たり前だ。普通の人間ならそうする。捻くれてんだな、そう思いながら話を続けた。
「ただあんたが神性芸術品とともに生きるとしても………オレみたいにはなるなよ。人として生きられなくなったオレみたいには」
言い終え浮かべたのは苦笑、内心舌打ちをする。喋りすぎた、こんな会って間もない人間に、ただ境遇が似ている、その程度の人間に話すべきことじゃない。
(いや、違うか)
そう、ただ境遇が似ているというわけではない。
神性芸術品
この紅き眼を持つ者同士の依存はある種、血のそれより深い。その事をクロイスはかつての任務でイヤというほど思い知らされた。
(だったら)
今、目の前にいる少女と自分の間にも確実にそれはあるのだろう。
『この世界でごくまれにしか存在しない神性芸術品保持者が出会う事など滅多に無い。だからこそ神性芸術品保持者の間では神性芸術品は何物にも変えがたい、絆であり、縁であり、運命なんだ』
かつて自分の殺した男はそう語った。そして
『もしお前を保護したのが私だったなら、おまえとそういう絆を持てたのかもしれないな』
その言葉に自分はただ黙する事しか出来なかった。それでも
(自分はこの男を殺した事を後悔する事だけはしたくない)
そう思えた。
(絆、か)
目の前、マージを見ながら
(だとしたらオレとコイツの間にも)
何かあるのだろうか。
(どうなんだろうな、アーヴィー・ハンブルク)
そんな事を考えながら
「とりあえずは隣の部屋を使ってくれ。鍵は内側から掛けれるようになってる。必要なものがあったら遠慮無く言ってくれ。よっぽどのものでもない限りはすぐに用意できるはずだ。俺に言いにくいならアリアに言ってくれてもいい。とにかくあんたが自身の気持ちで何かの決断をするまでは不自由はさせないようにする」
そこまで言うとクロイスはデスクの上からあるものを持ってきた。それをマージに差し出しながら言う。
「言葉が使えるようになるまではそのメモ帳に用件を書いて知らせてくれ」
マージは頷いてからメモ帳を大事そうに抱えた。それを眺めるクロイスはどこか嬉しそうだった。
「クロイスいないね」
「………そうね」
「ユーキ君は何か知ってたの?」
「………いや、何も聴いて無かったよ」
「…そっか」
「もう…会えないのかしらね」
「どうだろうな………六星賢者、か」
「なんか、今でも信じられないね」
「…………そうね。私たちの知ってるクロイスっていったらねぼすけで、めんどくさがりで、六星賢者ってイメージからはかけ離れてるもんね」
スクールからの帰り道、シルビアとリータ、そしてユーキはぼんやりと会話しながら歩いていた。話題に上がっているのは昨日あった模擬戦闘大会でのこと。この日スクールでもこの話題で持ちきりだった。何せ今まで無能の代名詞だったクロイスが過去に六星賢者に名を連ねていて、そしてまた今回六星賢者に復帰したのだ。
ちなみにスクールに通っている生徒の八割以上が魔法庁勤務を希望しており、また六割以上の生徒の親が魔法庁に勤務している。つまりスクールの生徒の親の六割以上がクロイスの部下という事になり、もし魔法庁に勤務することになったらクロイスの部下という事になる。と、いうことは今まで散々蔑んできたことの仕返しを心配している、と言うわけではない。そのことも話題には上がるのだがそれよりも大きなことがあった。
神性芸術品ラッシュアーツ
今まで自分たちは神性芸術品保持者と同じ教室で勉強していた。あの、災厄の象徴、異端法師が今まで隣で肩を並べていたのだ。生徒たちが騒ぐのも無理は無いだろう。ましてやこの事実は教師たちですら知らなかったのだ。まあそんなことからスクール中が大騒ぎになっていた、そして普段からよくクロイスと一緒にいた三人はことあるごとに質問を受けていたのだが、三人はその質問に何一つ答えることはできなかった。当然だ、三人ですらクロイスからはなにも聞いてなかったのだから。ただそのことが三人には辛かった。親友とまではいかなくても友達だとは思っていた。だったらせめて自分たちには話しておいてほしかった。少なくとも自分たちはクロイスが神性芸術品保持者だからといって差別するつもりは無かった。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………あーーーーもーーー」
どのくらい無言で歩いていただろうか。沈黙に耐え切れなくなったのか突然シルビアが声を上げた。
「辛気臭いのはもうやめ。どうせあいつのことよ、そのうちひょっこり顔見せるに決まってるわ」
「…………うん、そうだよね」
「気まぐれだからな。あいつは」
「そーよ、よっし、それじゃあ久しぶりにカラオケにでも行きましょっか」
「お、いいねそれ」
「うん」
そう言いながら歩く姿は少し無理してテンションを上げながらそれに気付かないふりをしているようにも見えた。
「そういえばこの道って確か駅前への近道だって聞いたことあるんだけど」
そういってシルビアが示した道は日当たりも悪く、ジメッとした感じの道だった。そこは一般に裏通りと呼ばれる類の道で昼間のこの時間はあまり人気が無かった。
「へぇー、そうなんだ。初めて聞いた」
「でもなんか気味悪いね」
「まあ確かに気味のいい場所とはいえないわね、……どうしよっか?」
「んー、たぶん大丈夫だろ。こっちは三人なんだし」
「それもそっか。それじゃ行こっか」
そう言って三人は裏通りに入っていった。
ちなみにそのころクロイスは溜まりに溜まった書類と格闘中だった。
マージはクロイスと同じ部屋で新感覚推理小説『愛、そして苦しみの果てにY〜菩薩一行と暗黒大帝ギャリオンの地獄旅行。一泊二日の大乱闘・悩殺セクシー、ポロリもあるよ〜』を読んでいた。ちなみにこの小説、帯に書いてある感想が『悟りと愛で救いの道を!!!私も悟りを開きます』だったりする。
「なによ、これ」
その変化は唐突だった。シルビアたちが裏通りを歩いていると、突然四人の人間に囲まれ、その四人が何か呪文を唱えた瞬間、周囲の景色が一変したのだった。サッカー場程度の大きさだろうか、その空間には何もなく辺り一面が乳白色の壁と床、天井で覆われていた。
「ねえ、これって閉鎖空間じゃない?」
「閉鎖空間?」
「ああ、そういやこの間授業でやったな」
「うん、でも話に出てきたのよりだいぶ大きいみたいだけど」
「そんなことより、どうして私たちがその閉鎖空間に入れられなくちゃならないのよ」
「さあ」
「さあって、ユーキあんたはもう少し緊張感ってものを」
「そう、お持ちになられた方がいい。ユーキ・トイム君」
シルビアの言葉をさえぎりひとつの言葉が投げかけられた。
「そしてシルビア・フォスリーゼさん。あなたはもう少し落ち着きを持った方がいい」
振り返るとそこには八人の人間がいた。そのうち七人は目深にローブを着ているため見分けがつかなかった。その中で真ん中にいるスーツを着た剃髪の男が続けてきた。
「はじめまして、突然の来訪許していただきたい。私の名はレン、レン・イノシン」
そういってレンと名乗った男は深々と礼をした。礼儀正しいその男の行動は、なぜだかシルビアたちの不安を煽って仕様が無かった。
「以後お見知りおきを」
ちなみにそのころクロイスは息抜きと眠気覚ましのためにコーヒーを飲んでいた。
マージはさっき読んでいた本は読み終えて次に猟奇型スポーツラブコメ『直腸にタッチ〜奏でるはチェーンソー、南を甲子園に寸刻みで撒き散らして〜』を読んでいた。ちなみにこの小説、猟奇殺人鬼の主人公がスポーツ少女と出会い野球に目覚める物語。ラストは審判の誤審にきれた主人公がチェーンソーを振り回し誤ってヒロインを殺害、そこから真実の愛に目覚めるという作品。