第五章『ワーキングブルース〜囚われたまま〜』
復讐者は業火でその身を焼かれさらに恨みを重ねてゆく。怨念をわが骨とし、怨恨を筋とし狂気を血として体内を巡らせる。その上で信念を皮膚として身に纏う。
呟かれる言葉には悪意がありその行動には敵意がある。
今やただ復讐の理由さえ忘れながらも、その心は鬼と化して。
呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う、呪う。
呪うべきは自分と相手。
ただ欲するは血を、肉を、骨を、心臓を。
後に残るはただ燃え残る復讐の足跡。
リチャード・ギルマン著、新感覚ファンタジーラブコメディー『恋の呪文は1・2・3』近日発売。
マージはそこまで読み終えてから顔を上げた。
目に入るのは見慣れない風景。それもそうだろう、この部屋での生活はまだ始まったばかりなのだから。でもうまくやれると思う。近くのデスクではこの部屋の主である少年が書類の山と格闘していた。
すごいな、と思う。自分より一つ小さいのに仕事をこなしてるなんて。
すごいな、と思う。神性芸術品を克服してるなんて。
すごいな、と思う。神性芸術品を利用して仕事をしてるなんて。
ふとポケットにしまっていたメモ帳を取り出す。喋ることのできない自分に声の代わりとして渡されたものだ。
嬉しかった、これを渡す時に見せた彼の表情はひどく優しかった。なぜだかそのことがすごく嬉しく思えた。
真新しいこのメモ帳の一ページにはさっきまで自分が読んでいた本のタイトルが羅列してあった。さっき何か欲しいものはないかと言われて書き記したものだ。本は言ってから十分位で届いた。本を届けに来たのはおそらく魔法庁の職員なのだろう。妙にペコペコしていたのを覚えている。しばらく書類の山と向き合っている姿を眺めていたら不意に目が合った。どうかしたのかと問いかけてきたのでなんでもないと首を横に振った。なぜだかまた嬉しくなった。さっき人に気を使うのは苦手といっていたがとんでもないと思った。今だってそうだ、じゅうぶん気を使ってくれているしとても優しかった。
他の人といるときはとても息苦しいのになぜだか今は平気だった。
なぜだかいろいろあった辛いことが一緒にいるとやわらぐような気がした。
早く話せるようになれば、と思う。そうすれば今よりもっと親しくなれるだろう。
早く話せるようになれば、と思う。いろんな話をしてもらうだけじゃなくしてあげたいと思う。
早く話せるようになれば、と思う。ただ単純に自分の声を聞いてほしいと思った。
そう思いながらマージは次の本を手に取った。
『ダンベルと草原と私[くらげ王国旅情編〜虹色くらげの逆襲〜』
この本も人気作家の新作だ。ジャンルはファンタジー。前作までで主人公とヒロインは熱々のメンチカツを石像の口に投げ込みとうとう学級崩壊を起こした魔界の学校への扉を開いたはずだ。この先どうなるんだろう。わくわくしながらマージは本を開いていった。
(どうしたもんかな)
クロイスは内心一人ごちた。目の前にあるのは未提出の報告書、そしてその向こうには小説を読んでいるこの部屋の自分以外の住人がいた。
(本当にジーニも厄介な仕事を持ってくる)
考えていることは自分以外の住人のことだ。特に何か問題があると言うわけではない、考えていると言ったところで特に詳しいことは何も考えていない。ただ頭の中に漠然とした疑問が浮かんでくる。
(どうしたもんかな)
同じ言葉を内心呟きながら椅子に体重を預けて天井を見上げた。見慣れた、否、見慣れていた天井だった。十二歳のあの日からスクールに行くまでの三年半、毎日のように見ていた天井だった。一人だった、一人でいようとした。決心を揺るがないようにするために。ただそれでもアリアやジーニは暇を見つけてはここにやってきたが。そして一年半ぶりに帰ってくれば今度は一人でいる場所すらも無くなった。
(どうしたもんかな)
何度目かの疑問が頭の中で反芻される。自分が何を疑問に思っているのか、それすらも見つからないいままで。
ピーーーーピーーーー
唐突に緊急用の呼び出し音がスピーカーから流れ、次いでオペレーターの声が部屋に響いた。
「クロイス・カートゥス様。先刻、護衛対象が閉鎖空間にさらわれる事態が発生いたしました。至急現場に向かってください。場所は────」
そこまで聞くとクロイスは研究室に姿を消した。そこで急いで仕事用の服に着替える。それは魔獣討伐のときに着ていた真っ黒な服。ちょうどジーニたちが着ている賢人会の証である服の色調を逆にした服だった。
部屋に戻るとマージに仕事が入ったと伝えアリアに電話でマージの様子見を頼むと伝えた。そのままある場所を目指し歩き始める。途中すれ違う人たちが向けるのは驚きと畏怖と嫌悪が程よくブレンドされた視線。だがそれらの視線を一切無視する、そんなことはここにいた頃から慣れていた。
目的の扉をくぐるとそこにあったのは一台のバイク。かつて自分が乗り回していたものだ。最高時速は二百キロを超える鋼鉄の馬車。
エンジンを掛けると体に重低音が響く。そのままハンドルを握りアクセルを捻った。
「さて」
落ち着いた声音でどこまでも紳士的にレンが言ってくる。
「ああ、そんなに緊張なさらずに。抵抗さえしていただかなければこちらも危害を加えるつもりはございませんので。さて本日御三方をこのような場にお連れいたしましたのには訳がございまして」
「訳?」
怪訝な表情を浮かべたままユーキが言う。
「ええ、と言ってもユーキ・トイム君、あなたには直接関係があると言うわけではありませんが」
「じゃあいったいなんのようだよ」
「そう結論をあせらずに。話には順序、と言うものがありますので。さてその用件と言うのは実はリータ・ライアルさん、あなたでして」
「わたし?」
突然話を向けられ驚きながらリータが言った。
「ええ、あなたのお力をぜひお借りいたしたいのですよ。我々テンプル騎士団へと」
「テンプル騎士団?そんなの聞いたことないわよ」
「ええ、そうでしょうね、シルビア・フォスリーゼさん。ですがそれが普通ですよ」
「私の力を貸せって、どうして私なんですか、私よりすごい人ならいっぱいいるはずです。それに力を貸してほしいのならどうしてこんな場所へ」
「それでは今あがった質問にそれぞれ答えていきましょう。あなたは我々テンプル騎士団の団長に選ばれたからです。そしてそれはほかの方では出来ないことをあなたにしていただきたいから。そして最後の問い、このような場所へお連れしたのは外だと少々厄介な方々の目があるものですから」
「厄介な方々?」
「ええ、まあですがそのあたりはお気になさらず。さてそれでは行きましょうかリータ・ライアルさん、団長がお待ちです」
「ふざけるな!いきなり来て何様のつもりだ!」
ユーキがレンを睨み据え激昂しながら叫んだ。
「今我々が話しているのはリータ・ライアルさんです。残念ながらあなたの出る幕は無いのですよ、ユーキ・トイム君。少し黙っていてもらえますか」
「うるさい、お前等みたいな訳の分からないやつらの言うことを聞く気は無い。分かったらとっととこの訳の分からない空間を解いてどこかへ消えろ!」
「なるほど、確かにあなたのいうことも一理あるが………そうですね、リータ・ライアルさん」
「………なんですか」
「我々とともに来て頂けないでしょうか」
「…お断りします、ユーキ君の言うとおりどこの誰かも分からないような人たちに協力なんて出来ません」
「どうしてもですか」
「はい」
「最後にもう一度だけ聞きます。我々に協力してはもらえないでしょうか」
「だから、何回も言ってるでしょう。お断りします」
「………そうですか、仕方ありませんね。……本当に残念です」
そこまで言うと背後にいた残りの人間たちに目を向け何かを合図した。
「それでは我々は力尽くであなたを連れて行くことにします」
相変わらず紳士的にレンは言い放った。それと同時背後に控えていた七人のうち三人が散らばってレンを含む四人で取り囲むような配置につく、残りの四人は後ろに下がり距離をとった。
「どうぞ無駄な抵抗はなさらぬよう。抵抗すればするほど痛い目を見るだけですから」
「黙れ!」
そう言った後ユーキは精神を集中させて構成を編み上げた。
「やれやれ」
レンはそう肩をすくめながらそう呟いた後ほかの三人に目配せをした。『手を出すな』と。
「応えろ、炎!」
魔法によって生み出された白い炎がレンに向かって襲い掛かる。しかし
「白銀の盾!」
レンが作り出した障壁にあっさりと防がれてしまった。
「くそっ」
「応えて、雷!」
「応えて、風よ!」
ユーキが毒づきレンの障壁が消えると同時、後ろにいたシルビアとリータも魔法を放った。
「おやおや、三対一ですか。まあいいでしょう」
そう言いながらレンは横に跳ぶ。その余裕の動作で雷と突風をかわした。
「応えろ、氷刃!」
「応えて、光!」
「応えて、大地よ!」
氷の矢が、光熱波が、石の飛礫が、波状攻撃を繰り出しそれぞれがレンを襲うがそれすらもレンは魔法を使わずにかわしてしまった。
「もう、終わりですか」
まるで何事も無かったかのように微笑を浮かべながらレンが言ってくる。その笑みはユーキの神経を逆撫でするには十分だった。
「くっそ、…応えろ、風!」
構成を解き放ち突風が巻き起こる。しかしレンが少し移動するだけでかわされてしまった。
「まだまだぁ、…応えろ、氷刃!」
無数の氷の矢が襲い掛かる。しかし
「紅蓮の衣!」
解き放たれた構成が瞬時にしてレンの目の前に炎の壁を作る。氷の矢は全て蒸発してしまった。
「…応えろ、光!」
放たれた瞬間視界全てが光で埋まる。極太の光熱波がレンに向かって疾走した。
「漆黒の斧!」
魔法が発動した瞬間まるで闇が物質化したかのような漆黒の塊が落ちてきて、ユーキの放った光熱波を押し潰した。
「もう十分でしょう」
「なんだと」
「あなた方では私たちに勝てないことは十分理解していただけたと思いますが?」
「その通りだな」
ガチャッ。ドン。ドン。
唐突にレンの後ろから声が響いた、と同時に二発の銃声が響いた。放たれた銃弾が次々に着弾して紅い霧を撒き散らす。ユーキ達を取り囲んでいた三人の内ユーキたちの真後ろにいる一人を除いて一瞬にして頭を失いその場に倒れた。
「ライズ!」
足元に力場を発生させ重力と相殺しユーキ達を飛び越える。残った一人の眼前に着地する。その勢いを利用して手にしていた散弾銃をローブ越しの頭に叩きつけた。
「ぐあ」
脳震盪を起こしたのだろう。目の前に建つ男が(声で分かった)頭を押さえふらつく。そのまま相手の太ももに銃口を押し付け引き金を絞る。
「がぁあぁああぁあ」
片足が吹き飛び噴水のように血があふれ出す。バランスを崩した男が仰向けに倒れる。その胸を踏んで押さえつけ眉間に銃口を押し付けて間をおかずに発砲する。そして辺りに赤黒い塊が飛び散った。
頬についた返り血を袖でぬぐいユーキ達を、そしてその向こうにいるレンを無表情な表情で睨みすえた。
「クロイス!」
「久しぶりだな、レン」
ユーキ達が驚きと喜びの混じった声でこちらを呼んだ。しかしそれらを無視してユーキ達の横を通り過ぎレンと向かい合う。
「ええ、五年ぶり、ですか。本当にお久しぶりですね、クロイス・カートゥス。憎き我らが仇敵よ」
ここに来てレンが初めて感情のこもった声を上げる。しかしその声にこめられた感情は『憎悪』ただ一つだった。
「五年、五年、五年、忘れたことなどただの一度も無かった。そう、あの日。五年前のあの日に我々の前に突如として現れたあなたのことは。そう、決して忘れなかった、五年前のあの日、たかだか十二歳の子供に過ぎなかったあなたが我々の団長を殺したことを」
「だからどうした。そんなものたかだか十二のガキに殺された団長にでも文句を言うんだな。そんなことより心配するべきことがあるんじゃないのか?」
「………どういうことです」
「簡単なことだ。五年前にオレはお前らの団長の前に現れそしてそのまま団長を殺した。そして今、今度はお前の前にこうして姿を現している」
「つまり今度はこの私を」
「ああ、殺さしてもらおう」
コンコン
ノックの音が部屋に響いた。マージは読んでいた本から意識を外に向けた。今この部屋に自分以外の人間は誰もいない。この部屋の持ち主はさっき仕事があると言って出かけてしまった。本当は行ってほしくなかったがわがままを言っても困らせるだけだろう。そう思って一人で本を読んでおくことにしたのだけれど。
「入るわね」
クロイスがいないのに自分が出てもいいのだろうか、それに知らない人といるのはあまり好きではなかったし。どうしようか考えているとノックをした人物は勝手に入ってきた。入ってきたのは見たことのある女の人だった。三時間ほど前、確か六室とかいう場所に連れて行かれたときにクロイスと一緒にいた人だ。
「ふふ、こんにちはマージちゃん」
挨拶をされたのでとりあえず頭を下げておく。
「おぼえてるかしら。さっき六室で一度会っているんだけど」
頷くと目を細め嬉しそうな表情を見せる。
「隣、失礼するわね」
そう言ってソファに腰掛ける。そのまま笑みを浮かべながらこちらに顔を向けてきた。
「改めて自己紹介しておきましょうか。私はアリア・エスリア。一応賢人会所属の魔法師よ。そしてクロイスと一緒にあなたの保護にあたる事になったわ。と言ってもクロイスのサポート役なんだけどね。今回みたいにクロイスが仕事に行ったりした時には私が来ることになると思うから、改めてよろしくね」
そういってアリアは手を差し出してきた。戸惑いながらもその手を握り返す。するとアリアは本当に嬉しそうに微笑んだ。やわらかい雰囲気の人だと思う。そしてクロイスの言っていたことを思い出した。『アリアと言う女性は信用してもいい』そうクロイスは言っていた。
「そう、あの子がそんなことを言っていたの」
まるで、今までしていた会話の続きであるようにごく自然にアリアがそんなことを言ってきた。どうして?どうして分かったんだろう?頭が混乱する。自分は今しゃべれないはずなのに。クロイスのくれたメモ帳で何かを話すべきだろうか。
「ふふ。そう、あの子がそんなものを………。ああ、ごめんなさい、混乱させたみたいね。どこから説明すればいいかしら、ええっと超能力って分かるかしら?私はその内の一つを持っているの」
聞いたことはある言葉だった。ただ聞いたことがあるだけで詳しくは知らない。首を横に振るとアリアはそう、と言った。
「超能力、というのは簡単に言えば魔法ではない魔法に似た力ってところかしら。魔法というのは使う際には必ず魔法力を必要とする有限の力なの。それに対して超能力というのは使用する際に何にも使うことの無い無限の力。その代わり魔法はそれこそ魔法力さえあれば出来ることはそれこそ無限にあるの、超能力は無限に使うことの出来る力だけど出来ることはそれこそ限られているの。それが魔法と超能力の違いであって、超能力というものの実体。ここまでは理解できた?」
コクリ、と首を縦に振る。
「私が持っているのは読心法と呼ばれるもの。簡単にいえば相手の心を読むことが出来るの」
相手の心を読むことが出来る、アリアはそう言った。ということは私の考えていることはすべて筒抜けというわけで…………!!!!!!!!頭の中が恐慌に陥る。どうしようどうしようどうしよう。恨みがましい目でアリアを見つめると自分の横に座る柔らかな雰囲気の女性は表情を変えていた。微笑から破顔へと。
「ふふ、ごめんなさいね」
そう言いながらアリアは笑いを収めようとしていた。改めて見るとやはりその雰囲気は柔らかく心地よかった。
「説明が足りなかったわね。確かに私は心を読むことが出来るの。でもそれはほんの上っ面だけ。相手が言葉にしようとしていることだけなの。だからあなたが心配しているようなことにはなってないから大丈夫よ」
そう言ってアリアは微笑んだ。つまりアリアが読めるのは言葉にしようとしている思いだけ、だったら
「そう、安心して、あなたが思ってるようなことは一切無いから。だからこのチカラは普段は何の役にも立たないの、だってそうでしょう。相手が話そうとしていることをほんの少しだけ早く読み取るだけなんですもの。そうね、本当に役に立たない。あるとすれば言いかけてやめられたことを読み取れる時と、あなた達みたいに喋られなくなった人の意思を読み取るくらい。まあ、だから七年前に私はクロイスの保護者になったんだけど」
だからクロイスの保護者になった?どういうことだろう?疑問に思ったことを思い浮かべてみる。これでアリアには伝わったのだろうか?
「ええ、だいじょうぶ。伝わっているわ。………そうね、あなたには話しても大丈夫らしいわね。あなたにはクロイスも少しは心を許しているようだし。………そうね、興味があるのなら聞かしてあげるわ。あの子の昔話を」
どう?と視線だけでアリアは問いかけてくる。クイスの過去。興味はあった、それに。どこかで聞かなくてはならないと言う声が聞こえた。教えてください。声に出して問いかけるように真剣な目でアリアを見つめた。
目の前で起こっている出来事が何一つとして信じられなかった。先ほどから耳に入ってくる会話が信じられなかった。否、信じたくは無かった。目の前にいるクラスメイトがあっさりと人を殺して、あっさりと殺すと言って。そんなことをもう五年も前にやっていただなんて。何一つとして信じられなかった。
それは誰の思ったことなのだろう。シルビアなのか、リータなのか、それともユーキなのか。あるいは三人が思ったことなのか。ただその瞬間彼らは恐ろしさではなく、哀れみでもなくただ純粋な驚きに心を奪われていた。
目の前にいるのは五年間忘れることの無かったただ一人の仇敵。われらが団長を殺した、その瞬間から騎士団は迷走に入った。あまつさえ新しく現れた団長には何一つとして魅力を感じなかった。それでもこの騎士団だけが彼の家であり守るべきものだった。だから新しい団長の不愉快な命にも従った。あるのはただ前団長への忠義のみ。そしてこの騎士団だけが彼の人が存在した証明であり墓でもある。
ならばすべてを狂わせたこの仇敵の首をせめて墓前に捧げよう。
ただそのために五年間を生きたのだから。
面倒だ。
クロイスはそう感じていた。五年前、初めての仕事で一人の男を殺した。その男はある組織のリーダーで自分はその男を殺すためにその男のねぐらへ向かった。結果、男は死んだ。そして五年前の自分はその男を殺しただけにとどまった。とどまってしまった。周りにいた人間たちを殺し忘れた。その結果がこれだった。新しい頭をすえたその組織はまたしても行動を開始してしまった。すべてを殺さなかったのはその一回限り。
その結果がこれだった。
面倒なことだ。
だから殺す。
今度は誰一人として逃さぬように。それが自分なのだから。
面倒なことだ。
誰も動かなければ死ぬことは無いというのに。
「あの子がここに来たのは七年前、まだあの子が十歳だった頃よ。それまでは普通の家庭で幸せに暮らしていたわ。お父さんは普通の公務員でお母さんは普通の主婦で、たぶん何一つ不満の無い暮らしだったはずよ。でもそんな時に飼っていた猫が死んでしまったの。なんてことは無い、子供の頃に大抵の人が体験する動物とのお別れ。それでもあの子は優しすぎたのね、何とかその猫を助けようとした。何度も呪文を唱えて、魔法力なんかとっくの昔に底をついたのに、それでもあの子は呪文を唱え続けた。それをご両親は近くで見ていたそうよ。そんな時、現れてしまったのよ。あの子の左眼に神性芸術品が」
神性芸術品という言葉が出た瞬間マージが身を震わせた。思い出させてしまったんだろうか。悪いことをしたなと思いつつ話を続けることにする。
「突然現れた神性芸術品をあの子は当然制御することは出来なかった。その結果は魔法の暴走。行き場をなくした魔法力はただ単純にあの子の周囲を消滅させた。塵一つ残さずに。魔法庁の職員がついたのはすべてが終わって三時間以上たった後だった。そこにいたのはまるで死人のようにピクリとも動かない子供だったそうよ。このあたりはあなたと似ているんじゃないかしら。まあとにかくあの子は魔法庁に保護されてここで面倒見ることになったんだけど、ここに来たときのあの子は本当にひどかったわね。あの子がここに来たときには失語症にかかっていたの」
失語症という言葉を出すとマージは首をかしげた。それは私と同じでしゃべられなくなったってことですか?とマージの思念が伝わってくる。首を横に振って話を続けることにした。
「失語症っていうのは言葉を失うことなの。しゃべる言葉も聞く言葉も頭には入っているはずなのにそれを理解できなくなる症状のこと。あなたがただ喋られないのに対しあの子は言葉ですら理解出来なかったの。初めてあの子に会った時、すぐに読心法をつかったわ。でもあの子から流れてくる言葉は何も無かったの。どれだけ話しかけても何を聞いてもあの子は何も話そうとはしなかったわ。いつも真っ暗な部屋の片隅でうずくまってただ虚空だけを見つめていたの。何も考えず食べるものは全部吐いて。本当にあの時のクロイスは見てられなかったわ。そんな状態が三ヶ月ほど続いてようやく言葉を思い出して、一年たってようやくあの子は普通の生活を取り戻したの。そのときあの子は何かを決意したんでしょうね。それからあの子はただ強くあろうとしたの。神性芸術品のもう一つの能力である『圧倒的学習能力』を使って」
そういってアリアは寂しげな表情を見せる。それはただクロイスを救えなかった自分への後悔だった。
「さまざまな知識をあの子は吸収したわ。格闘術や戦闘術。魔法理論に超能力理論。化学に医術。果ては歴史に宗教まで。とにかくなんでも吸収していった。それが自身に課せられた使命であるかのように。そして十二を迎えてあの子は六星賢者入りを果たしたの。第七席という特異例をもって。」
そこまで話してからアリアは話を区切るように一度息を吐く。そうしてまた笑みを浮かべて
「……………………………私が話していいのはここまで、これ以上のことが知りたいのならクロイス本人に聞いてちょうだい」
アリアはそう言ってマージの顔を覗き込む。マージの見せる表情はただ驚きの一色だった。
「さあ、クロイス・カートゥス始めようか。この五年間を」
「五年云々はともかくまあとっとと始めようぜ。こんなくだらねえ茶番は長引かせないにこしたことは無い」
心底どうでもよく思い、心底どうでもよさげにクロイスは答えた。その言葉が相手の神経を逆撫ですると知りながら。そして逆撫でされた神経は容易に集中を乱す。その一瞬をクロイスは見逃さなかった。
「だが」
今の内に邪魔なモノは排除するために。
「その前にこいつらは逃がすぞ」
言い終わると同時クロイスの持っていた散弾銃が消えて入れ替わるように漆黒の円柱がその手に握られた。
F2、クロイスの主要武器だった。
「しまっ」
「遅い」
レンが自分の失敗に気付き声を上げるがそれすら間に合わなかった。
変化は一瞬
まるで今までそこにあったかのようにそこに刃が現れ漆黒の円柱はその役目を柄へと変えた。現れた剣を幾重にも振るう。『破界』の力を持ったそれはいともたやすく閉鎖空間の地面に穴を開けた。通常、決して傷つくことの無いとされる閉鎖空間に。
「えっ?ええ?」
それまで事の成り行きについていけず呆然としていたシルビア達はそこにきてようやく驚きの声を上げた。それも当然。何しろ自分たちの足場がクロイスの剣によって切り裂かれたのだから。
「外に行けば魔法庁の人間がいるからそいつらの指示に従え」
その言葉を最後にシルビアたちは閉鎖空間から脱出した。
「満足したか?」
苛立たしげにレンが問いかけてくる。だが先ほどよりは少し落ち着いていた。
「驚いたな、意外と冷静じゃないか」
「ふん、リータ・ライアルの確保ならここで貴様を殺してから外のやつらも殺せばそれで済む」
「なるほど、面白いことを言うな。誰が誰を殺すって?間違えるな。ここで死ぬのはお前達だ」
シニカルな笑みを浮かべクロイスが言い放つ。その様子はどこからどう見てもレンを舐め切っていた。
「来いよ、五年ぶりに団長に会わせてやる」
「────ッ。舐めるなぁ」
レンのつけていた指輪が淡く光りその手に飾り気の無い一本の剣が握られた。
真正面から打ち下ろしてくる剣をサイドステップでかわす。
ギィン!!
そのままレンが横薙ぎに払ってきた剣を刀身で受け止め弾き返す。甲高い金属の音が辺りに響くがそんなことはお構い無しに間合いを詰め、剣を消して無手の状態になる。これだけ間合いが縮まれば剣の長さは意味を持たなくなる。
(狙うは右足!)
間合いを詰めた状態でフェイントの拳打をレンの顔面に向けて放つがレンも剣を消し徒手空拳に切り替えていた。両腕を顔の前に持って来られあっさりと防がれてしまう、防がれた腕をとられないうちに腕を引く。しかし体の流れは前進を維持してレンの横を駆け抜ける。狙うべきは急所。そのままレンの右足首の腱を踏み抜こうとする。その狙いに気付いたレンは体を前に投げ出してその攻撃をかわす。二人はほぼ同時に体勢を立て直し剣を出現させる。
横薙ぎの剣を弾き、突きを放ち、それをかわされまた剣を受ける。辺りには二つの剣が奏でる金属音が響いていた。
剣戟はすでに二十を超えてそれでも終わろうとはしなかった。
その時クロイスが今までに無い行動に出た。間合いを開け突然に剣を投げた。本来投げると言う用途にはまったく向かない剣はそれでも回転しながらレンに迫っていく。
ガギィ!!
とっさのことに面食らいながらもレンは飛来する剣を弾き落とした。その向こうには魔法の構成を編むクロイスの姿があった。
「テンペスト!」
「漆黒の斧!」
クロイスの放った高温の光は、しかしレンの放った闇に押しつぶされた。通常一流以上の魔法師が魔法で戦闘を行った場合相手に傷を負わせることはまず出来ない。その理由は二つある。一流の魔法師は構成を編み周囲に展開し呪文により魔法力を放出して魔法を起動させる、と言う手順をほぼ一瞬で行えるようになるからだ。魔法師はある程度の訓練をつめば自分以外の魔法師の構成の展開を感知できるようになる。ならば次の瞬間にはその魔法に対抗しうる魔法を放つことが可能になる。また魔法の構成は自身を中心にしか編むことは出来ない。たとえば炎を放つ場合炎は自分の周囲にしか現れない、そのまま炎を放ったとしたら自分の目の前で生まれた炎が敵に届くまでのタイムラグが生じる。それ故に魔法が発動したとしても一瞬で魔法を放つことが出来る魔法師が相手ならば効果的な攻撃にはならない。だからこそ魔法師たちは武器を使い素手での戦闘を覚える。
「ライズ!」
クロイスはテンペストを放った後、続けざまに力場形成の魔法を唱える。体が急激に前に引っ張られる。骨格が軋み筋肉が悲鳴を上げるがそれらを意思でねじ伏せる。おおよそ人のものとは思えないスピードで距離を詰める。
全ては布石だった。剣を投げてレンの意識をそちらに向ける。そのまま魔法を放ってレンに防御用の魔法を使わせる。その魔法でレンの視界を奪って距離を詰めた。
力場で得た勢いそのままにレンの水月に拳打を叩き込もうとする。だがレンはサイドステップでクロイスの拳をかわしてがら空きの背中に剣を振り下ろした。
「ライズ!」
まるで何かに突き飛ばされたかのような動きでクロイスはレンの剣をかわした。すぐに体勢を立て直して半身の構えでレンと対峙する。クロイスの手に剣は握られていない。
「どうやら武器を犠牲にしての奇襲も失敗したようですね」
レンが余裕の表情を持って告げてくる。クロイスは特に動じた様子も無く、そうだな、と言った。その後に、ただ、と付け加え
「武器を犠牲にしたつもりも無いがな」
「え?」
疑問の声が終わると同時
斬!!!
レンの肩にクロイスの剣が深々と突き刺さった。
「─────!!!!がっああ!」
レンが呻き声を上げながら剣を引き抜き投げ捨てる。体のバランスを崩し片膝をついた状態で傷口を押さえる。
「惨めなもんだな、レン」
顔を上げるとそこにクロイスが無表情でたたずんでいた。
「鎖骨骨折に肩甲骨骨折、ああ肋骨もか。でかい血管を何本かやってるし肺にも届いてるな。明らかに致命傷、助かる見込みはどこにもねーな」
つまらなそうにクロイスは言う。それを荒く息をしながらレンは見上げる。
「……布石だったのか」
「ああ、大方お前はオレの放った光熱波までが布石だと思ったんだろう。だがその後のお前がオレの拳打をかわしてオレに切りかかってくるところまでが布石だったんだよ。お前のスピードは理解していたからな。だからこそオレはギリギリの隙をお前に与えた。オレが力場形成を使っても不自然じゃないようにな、その後は簡単だ。力場形成でお前の真上に浮かべていた剣を力場形成の力で勢いをつけて落としてやった」
「神性芸術品……の圧倒的学習能力か」
「ああ、もっともオレのは性質が少し異なるがな。だがそんなことはもうすぐ死ぬお前に言っても関係ないか」
「た……かだか私に勝…ったくら…いでいい気にならない方が……身のためだぞ」
「へぇ、どういう意味だ」
嘲りを含んだ口調でクロイスが言う。レンの言っていることは明らかに負け惜しみのそれだったからだ。だがそれにレンは笑みを浮かべて続けた。
「いく……ら、貴様等魔法庁の人間が強かろう…とも、あの四人に……勝つことは…かなわん」
「…………四人?」
「そう…だ、貴様らのことだ。今の団長の……ことはしらべ……ているんだろう。ならば……分かるはずだろう、死者使役法を操るあの人だか……らこそ配下におくことが可能な四人を……歴史上最高の…魔法力をもち最強と……呼ばれた…四人を」
「………『死法師』か?」
レンはクロイスの問いには答えずただ笑みを強くした。
「先に…地獄で待とう、クロイス・カートゥス。……ああ。いま、おそばに参ります。アーヴィー・ハンブルク様」
ドン
クロイスの手に現れた散弾銃がレンの頭を吹き飛ばした。
「悪いな、いずれは死ぬんだろうが生きている可能性がある内はお前ほどの手だれに背中を見せる気にはなれねーんだよ」
そこまで言ってから感情の無かったクロイスの声が変化する。
「………………五年か、今度はそこまで待たせることも無いかもな」
自嘲気味に唇の端を歪めながらクロイスは誰に言うともなしに呟いた。
「さて、お前らのリーダーは死んだぞ」
そう言ってレンの後ろに控えていた四人を見据える。それはいつもの無表情に戻っていた。
「それにしても空間師が四人も集まるとさすがに規模がでかいな。おまえらか、新しく入ってきた空間師ってのは」
まるで天気の話しでもするかのように気楽に声を掛ける。声を掛けられている四人は傍目から見ても怯えていた。
「だが、たかだか小娘一人さらうのにここまででかい規模の空間を用意する必要も無いだろう。それこそ一人いれば事足りる。レンならそんなこと考えなくとも分かるはずなんだがな。そうなるとこの編成を考えたのはレンじゃなくお前らの団長というわけか。随分とまあ、学の足りない団長だな。いや、それとも手に入れたものは自慢したがる成金趣味か」
言葉を続けながら四人に向かって歩いていく。だがいくら歩こうとも消してその距離が縮まることは無かった。
スッ
クロイスが一歩前に進む。
ザッ
四人が一歩後ろへ下がる。
スッ
一歩進む。
ザッ
一歩下がる。
スッ
進む。
ザッ
下がる。
スッ
進む。
ザッ
下がる。
スッ
進む。
ドン
下が……れなかった。
いつの間にか四人は壁際にまで後退していた。だがそんなことはお構い無しにクロイスは歩を進める。
『蛇に睨まれた蛙』
この場で最もふさわしい言葉だった。
「さてと」
四人から二メートルほどの位置まで来て足を止める。
「覚悟は出来てるか?」
あくまで穏やかにクロイスは言う。ひっ、と小さく悲鳴が上がるがそんなことはきれいに無視する。それはこの場にはあまりにも不似合いな態度だったのかもしれない。血と硝煙の臭いしかしないこの場にはあまりにも。
ただどうでもよかった。人が死ぬことも人の命を奪うことさえも。それはただ単純に、五年前から繰り返してきた一つの日常。慣れ切ってしまった事に過ぎなかった。
散弾銃が一瞬で消えて変わりに漆黒の円柱、F2が現れる。だがそこから伸びたのは剣ではなかった。
槍
現れたのは長さ二m弱の十文字鎗だった。
一閃。二閃。三閃。四閃。
槍が振るわれるたびに血の付いたローブの切れ端と紅い血が空を舞った。
「きゃあ」
「うわっと」
「ひゃっ」
ドスン!
箱、地面から三十cmほどの高さに浮いている一辺一mほどの乳白色の立方体。そこから唐突に何かが弾き出された。
「いった〜〜〜い」
目を開けると閉鎖空間に入る前の裏路地の風景だった。
「ってえ」
「いたたた」
うつぶせの状態で倒れていると後ろから似たような状況なのかシルビアとユーキの声が聞こえてきた。
「!!」
慌ててスカートを押さえながら立ち上がる。振り返るとシルビアもちょうど起き上がるところだった。とりあえずスカートや服についている砂を落とす。そのときになってユーキがまだ起き上がって無いのに気が付いた。とりあえず声が聞こえてきた方に目を向ける。
「…………前衛芸術みたい」
率直な感想がそれだった。すぐ隣にいるシルビアから
「なんというか…レインボー的ね」
呟きが漏れた。
「よっと」
レインボー的な前衛芸術のポーズからユーキが勢いをつけて立ち上がる。そのままこちらに視線を向け親指を立て爽やかな笑顔で
「白とライトグリーン………グッジョブ!!」
バキッ!
「ぎゃああああああ!!鼻がもげるように痛い!」
「あんたはねー、なにくだらないこと言ってんのよ!!」
拳を震わせてシルビアが怒鳴りつける。
「ううう、ただの賞賛の言葉なのに。だが」
突如立ち直ったレンが拳を握り遠くを見ながら義務感に満ちた声で呟く。
「このことはクロイスにも報告しておかねば」
ドカッ!ゲシッ!ガキャッ!
「のおおおおおおおおお!!頭骨が陥没したかのように痛い」
「本当に陥没させときなさいよ」
そう言ってシルビアがユーキに背を向ける。
その様子を苦笑しながら見ていたリータは視線をめぐらした。
カチャ
コツ
「?」
不意に頭に何かがぶつかった。
(棒?)
よく見ると黒く長細い箱から黒い棒が伸びていた。そしてそれはさっきクロイスが持っていたものを一回り小さくしたようなものだった。
(違う、これは…銃)
その向こうには魔法庁特魔隊で採用されている黒い皮製の戦闘服を着た男が立っていた。
「動かないようお願いします。まずは氏名とそして所属を述べてください」
事務的な口調で告げてくる。それは指示に従わなければこのまま発砲するという態度だった。引きかけていた足を何とか止める。恐怖でかすかに震える喉を何とか動かした。
「リータ・ライアルです。所属はスクール。えっとそれで」
「質問されたこと意外は話さないでください」
黙ってその言葉に従うことにした。横を見ればシルビアとユーキも同じような状況だった。しばらくその状態が続いたがふと銃口が下ろされる。
「確認が取れました。リータ・ライアル様。まず先ほどまでのご無礼、安全のためとご理解ください。それでは我々魔法庁はあなたの護衛任務に当たり安全の確保が完了するまで尽力を尽くしましょう。」
敬礼をしながら目の前に立つ男が言った。周りを見るとやはりシルビアやユーキも似たような状況だった。
「はぁ」
とりあえず呆けた返事が漏れる。それに気付き慌てて付け加えた。
「それでこの後はどうすればいいんですか」
「あなたとお連れのお二人はこのまま魔法庁本部までおこし願います。それから先のことはそのときに説明があるでしょう。それでは急で申し訳ございませんが早速移動していただきます」
「えっ?すぐに…ですか」
「はい、何か問題が?」
「クロイスがまだ中に残っていて、それで、えっと」
「キリ……クロイス様とお知り合いでしたか」
「はい、そうですけど」
「………………分かりました、少々お待ちください」
そう言って男は他の職員のところに歩いていった。すぐにシルビアとリータが駆け寄って来る。
「大丈夫だった?リータ」
「うん、こっちは大丈夫。二人は」
「私は大丈夫よ、ユーキはどうだったの?」
「ああ、こっちも問題ないよ。むしろさっきシルビアに殴られた怪我の心配された」
その言葉にシルビアは少し罰の悪そうな顔をする。
「失礼、よろしいでしょうか?」
声を掛けられたのでそちらを見るとさっきの職員が立っていた。
「なんですか?」
「確認したいのですがクロイス・カートゥス様とはどのような関係でしょうか」
「関係ですか?えっと、友達、ですけど」
自信なさげにリータが言う。
「(ぼそっ)殺戮人形に友達ねぇ」
そこまで事務的だった職員の声に始めて感情らしきものが混じった。だがそれはどこか嘲りの混じった声だった。
「?、殺戮人形ですか?」
「ああ、こちらのことです。気にしないでください。さて、本来ならば今すぐにでも魔法庁本部に向かっていただくつもりでしたが、クロイス様の友人であられるのならば、ここで待機していただきクロイス様と本部に向かっていただくことも出来ますが」
「ぜひ!そうしてください」
答えたのはリータではなくシルビアだった。職員は少し迷惑そうな顔をしながらも
「分かりました、それでは安全な場所まで退避していただきます。こちらです、付いてきてください」
そういいながら歩き始めた。
「ねえシルビア、どうしてクロイスを待つなんて言ったの?」
「なに、リータはいやだったの?」
一応周囲のことを気にしてだろう。小声で話しかけるリータだが、シルビアはそんなことはお構い無しと言わんばかりに普段の調子で返した。ただそれでもリータはどこか沈んだ調子で答える。
「嫌って訳じゃないけど………でも、クロイスが会いたくなかったら………」
「だから〜」
そこまで言ってシルビアは真面目な顔をリータに向ける、だが次の瞬間には強い笑みを浮かべ、
「そんなこと関係ないわよ、あいつが会いたくなくてもこっちには会って文句の一つでも言わなきゃならないんだから」
「………………うん!」
その言葉にリータは強い頷きをかえした。
「美しいねぇ、青春だねぇ、若さだねぇ」
ユーキは一人目を潤ませながら呟いた。
そんな会話をしている間に目的としていた場所につく。そこにあったのは一台の車。
魔法庁専用護衛輸送車型フェンリル
大きさは四トントラック程度、巨大な金属の箱をいくつかつなげたようなごつい外見に魔法庁のイメージカラーでもある白を基本としたカラーリングが施してあった。ちなみに近くにはこれまたごつい感じのバイクが止めてあった。
職員はフェンリル後部にある扉を開けて
「この中でしばらく待機し」
ピシッ
職員の声をさえぎり甲高い音が響いた。リータたちが慌てて音のしたほうを見るとリータたちがさっきまでいた乳白色の箱にいくつもの亀裂が入りそこにいくつも銃口が向けられていた。
パキィィッ
薄いガラスが割れたような音と共に箱が砕け散って、
「銃をおろせ」
声と共に槍を肩に担いだクロイスの姿と、炭化した『何か』、それに血まみれのボロボロのローブを羽織った男が現れた。
「銃をおろせ」
閉鎖空間が解除され、自分に向けられた銃口がいくつも見えたのでとりあえず言っておいた。肩に担いでいた槍をしまう。槍の扱いは久しぶりだったが特に違和感なく使えたことに軽い満足感を覚えていた。
「お疲れ様でした」
銃を下げ近くにいた職員が声を掛けてくる。それに自分は、ああ、とだけ答える。いつもの儀礼的なやり取りだった。そこで初めて職員がクロイスの足元にいる、見るからにボロボロで意識不明の男に目を向けた。
「こちらの男は」
そういう職員の声にはかすかに緊張が混じっていた。
「敵の空間師だ。今回ばかりは情報が不足してるから生かしておいた。傷口はすべて焼いておいたから急いで治療が必要と言うわけでもない。ジン・ガゼルに引き渡せば少しはマシな情報も出てくるだろう。このまま拘置して連れて行け」
「はっ、わかりました」
そういって男は二人がかりで運ばれていった。そうしてこれからの予定に算段をつけてからバイクの方に目を向けるとありえない声と共にありえないものがこちらに向かって駆け寄ってきた。
「クロイスー!」
駈け寄って来たのはシルビアとリータ、少し遅れてニヤニヤ笑いのユーキ。それをクロイスは無表情と言うよりは少し不機嫌よりの表情で一瞥した後リータの相手をしていた職員を呼んだ。
「どうしてこいつらがここに残っているんだ」
「いえ、それは」
「私たちが頼んだのよ」
少しイラついたクロイスの声にシルビアが自信満々に答える。だがクロイスはそのまま職員に聞いた。
「………本当か?」
「はっ、クロイス様の友人だと言うことだったので」
「だから?」
「え?いえ、ですから………」
「オレは、そんな指示を出してはいない。保護対象は速やかに本部まで護送しろと言ったはずだ」
「はっ、申し訳ありませんでした」
このままクロイスはシルビアたちに話す機会を与えないで本部まで帰るつもりだった。久々に身の入った戦闘で疲れていたし話をする必要性も感じなかったからだ。
しかしそうは問屋がおろさない。
「クロイスあんたは───」
「クロイスいろいろと───」
「いよっ、クロイス───」
クロイスが指示を出すよりも早く三人が矢継ぎ早にクロイスに話しかけてきた。
「大体何にも言わずに───」
「少しくらいは私たちに───」
「お前がいなくなったせいで───」
まったく聞き手のことを考えないで三人は微妙に焦るクロイスに話しかけてくる。
「そもそも、友達は───」
「それにクロイスは───」
「そりゃーお前にも───」
まったく考えないで。
「そのあたりの考えってやつを───」
「私だってすごく───」
「いつものお前なら───」
話しかけてくる。
「どうなのよ、クロイス」
「どうなの、クロイス」
「どうなんだ、クロイス」
「はぁ〜〜〜」
深い溜息を一つ。そのまま視線をリータ達ではなくその向こうに控えていた職員に向ける。
「おい!」
「はっ、何でしょうか」
珍しく声を荒げたクロイスに少し驚きながら職員は答えた。その次に出たクロイスの言葉は誰も予想しえないものだった。
「こいつらも拘置だ、とっとと連れて行け」
「え?ですが」
「二度は言わん。早くしろ」
「…はっ、分かりました」
職員は逡巡しながらも答えた。結果、リータたちは職員たちに連行され無理矢理フェンリルに乗せられた。ちなみにフェンリルにはさっき捕らえられた男も乗っているが中で間切りが出来るため顔を合わせることは無かった。
フェンリルの中では
「なんなのよ!あのクロイスの態度は!!」
「シルビア、落ち着いて」
「…………………」
激怒するシルビアとそれをなだめるリータ、意味深に沈黙するユーキとぼそぼそと会話をする魔法庁職員と言うかなりおかしなワールドが展開されていた。
「何だって言うのよ、いったい。いくらなんでもあれは失礼でしょうが!!」
「………ふぅ」
シルビアをなだめることをあきらめる、時間が経てば少しは落ち着くだろう、と楽観視することにする。周りを見渡せばユーキは黙ってボーっとしていた。
(何か考え事かな?)
そう思いながらさらに視線をその向こうにやる。そこでは二人の魔法庁の職員が小声で会話をしていた。なんとなくその会話に耳を向ける。
「この後ってどうすりゃいいんだ」
「さあ、普通拘置したやつらはそのまま独房送りになることもあるしな。賢人会クラスが指示を出した場合は特にな。だが………今回はジーニ様に指示を仰いだ方がいいだろうな」
「ったく、普通友達を拘置なんかするか?」
「ぼやくな、所詮やつは人形だ。人の心なんかこれっぽちも持ち合わせちゃいねーよ」
「けっ、殺戮人形。人の形の殺しの道具か」
『殺戮人形』
その言葉がひどく悲しい響きに聞こえた。隣ではシルビアがまだ愚痴を言ってるしユーキは相変わらず黙ったまま。二人の職員はいつのまにか最近出来た飲み屋の話に変わっていた。ただそれでもその言葉が頭にこびりついて離れなかった。