雫「とにかく、今日か明日だ。俺は夜、街に出る」
暦「判った。寮の方は任せときな」


話を終え、雫が自分の部屋に戻っていく。それを見届けた後、暦も自分の部屋に戻った。
部屋に戻った雫は直ぐに部屋の窓から飛び出した。
食い止めなければ間違いなく、この街は飲まれるだろう。
僥倖なのは、夜になると噂の所為で、誰も外に出ていない事だ。
これで自由に動き回れる。こんな時シオンが居てくれれば楽だが、流石に其処まで望む事は出来ないだろう。
雫は思考をやめて屋根から屋根へ飛んで移動していくのだった。





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―――この世の陽炎―――


/3  ≪序章の夜≫    
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しばらく移動を続けていたが、一つの場所に雫は吸い寄せられるように止まった。
桜公園の一角に、見つけて下さいと言わんばかりの死体の山。
見れば、そこ等かしこに散乱している。
最早地獄絵図。そして、またドサッと音を立てて死体が放り投げられた。


雫「純一!?―――――いや・・・」
純一「―――――っ!!」


純一は一瞬驚いた顔になったが、直ぐに顔を戻し、更に不敵に凍った笑みを見せた。


雫「タタリだな」


呟き、ポケットからナイフを取り出す。
正面の純一からは途轍もないほどの血の匂いが溢れてくる。
それは今日会った純一の気配では無い。
"タタリ"。
それが目の前にいる純一だった。


雫「タタリなら、別に殺しても良いだろう。恨むなよ?純一」


言って消える。最早その速度は目で追い切れるものではなく、純一もまた同様だった。


斬―――――。


雫は純一を切り捨てる。しかしその姿は陽炎の如く揺らめいている。


純一「まさか、貴様が来ているとはな。正直驚いたよ」
雫「ふん。未だ消滅させれないか。と言う事は今日じゃ無いのかな?」
純一「まだ開幕はしていないよ。しかし今回は楽しめそうだ」


サラバだ。とくぐもった低い声で告げた後、純一は闇に消え去った。
それと同時に血の匂いが消え、そこら中にあった死体は元の・・ゴミに戻った。
今までに見えていた死体はタタリの影響である。
つまり、今までこの街の人達が見ていた死体の正体はゴミだったのだ。
皆、タタリの影響により、そう見えていたのだ。


雫「今回はどんな容姿かたちで、出てくるかねぇ」


にやり、と薄く笑う。


タタリは吸血鬼の中でも力の強い"死徒"の更に上位種、"死徒二十七祖"の十三位である。
吸血鬼は成り損ないの"死者"、成れた"死徒"、最初から成っていた"真祖"がいる。
真祖が人を噛み、血を送り、実体化したのが"死徒"。それが吸血鬼の歴史の始まりだった。


タタリは人の噂を呑み、そうして実体化する。
今回の場合、"通り魔"。"殺人鬼"。死神のような"吸血鬼"。この三つが囁かれている。
つまりこの三つの内どれかになるだろう。そして、成ったその身体でこの街を飲み尽くすのだ。
タタリが現れれば、その街は死都となる。それだけ強大な吸血鬼なのだ。



閑話休題。



雫「厄介な吸血鬼に目を付けられたな、この街も」


呟き、溜息を吐く。今回の任務は復唱するが、"風見市に起こる不吉な影を取り除く"事にある。
厄介事も面倒見無いといけないので、溜息を吐いたのだった。


雫「取り敢えず、もう魔の気配はしないから今日は大丈夫だろう」


一回消し去ったし。と言って彼がその場から動こうとした時、一本の鍵が足元に突き刺さった。
飛んで来たほうを見てみると、シスターの服を靡かせた一人の少女が電灯に立っているではないか。
確か、初めて会った時もこうだった様な、と思い返し声を掛ける。


雫「久し振り、かな?シエル」
シエル「ええ、そうですね。確認しますが、本物ですか?雫君」
雫「ああ、本物。さっきタタリを一度消し去ったしな」


笑いながらシエルを見つめる。シエルは一瞬怪訝そうな顔をしたが、瞬間的に頬を緩ませ電灯から降り立った。


雫「そう言うシエルこそ、本物か?」
シエル「勿論です。と言うか判っていながら言わないで下さいよ」


冷静な顔をして、切って捨てるシエル。
本当に本物だ。安堵の息を吐き、再度シエルと向き合う。


雫「久し振り、シエル」
シエル「はい、久し振りですね。雫君」


二人で笑い合う。立ち話も何なので、二人はベンチに座った。
蒼い髪に蒼い目。背は165cm位と高く容姿は中々と言った少女。それがシエルである。
シエルの武器はさっき足元に投げてきた"黒鍵"。そして概念武装の"第七聖典"である。


雫「今回は一人で来てるのか?」
シエル「はい。志貴君に手伝って貰おうかと思ったのですけど・・・・・・」
雫「"埋葬機関"からのお達しだったから巻き込みたくなかったと」


雫が確認を取ると、頬を紅くしながら頷いた。
シエルは"埋葬機関"と言う、異端児、吸血鬼狩りを主としている機関に入っている。
順位は七位。『弓』のシエルと呼ばれており、遠距離が得意なのだと直ぐに判る。


雫「アルクェイドも来て無いのか?」
シエル「はい。今は何処に居るか判らないんです。色々な国に行っているらしくて」
雫「自由奔放だもんな、あのお姫様は」


遠い目でどこかを見る雫と苦笑するシエル。
ふと空を見上げると、ひょっこりと月が顔を出している。
よく見れば恐らく明日には満月では無いか。やはり論理式は満月に完成するのか、と胸の中で毒づき、月を睨む。
どれだけの論理式を組み込んだかは知らないが、この街が死都に成る事だけは避けなければならない。


雫「埋葬機関も観測したと言う事は確実に発生するな」
シエル「はい。吸血鬼関係なので雫君にも手を引いて欲しいのですが・・・・・・」


無理ですよね。と、首を傾げて雫に問う。雫は頷く事で肯定し、見上げた目線を元に戻す。
桜の花弁が鬱陶しい。払い除けるのが面倒臭い。
ふぁ、と一つ欠伸をする。時間を見れば十一時になっていた。
まだ帰るには早い。噂と言うならば、それは現実として成ってはならない。
噂と言うのはあくまで噂だ。現実として成っていない事を噂と言うのだ。
現実として成っているのはあくまで事実だ。
しかしタタリは、その噂を汲み取る。噂が強大で信憑性の高い物に成ればなるほど、強力な力をもって現れる事になる。
要は。噂を現実化させるのがタタリの本性であり事実なのだ。


雫「さて、と。もう少し見回ってみるか。タタリの残滓が残ってたら痛い目に会う」
シエル「そうですね。私も少し見回ってみます」


お互いに背を向き、反対の方向に駆けて行く数瞬前、雫はシエルの方を向かずに口を開いた。


雫「気を付けろ、シエル。俺はタタリに出会ってしまった。もしかすると、タタリは俺の姿で現れるかもしれない」
シエル「―――――最悪のケースですね。出会ったら、覚悟した方が良いかも知れません」


では。と呟いて、シエルは闇に消えて行った。雫は溜息を吐き、同時に目線を前にした。
肌を刺す風は最早針だ。冷たさと寒さを同時に運んでくる風は痛い位だった。
しかし、お陰で眠くなった脳も覚醒した。頭を軽く振り、歩き出す。
後は何処を見て回ろうか。シオンと志貴と回った所は、路地裏やら公園やらだった。
ならそこら辺を中心に回ってみよう。胸の中で意気込み、しかし穏やかな締りの無い顔で歩いて行った。




シエルSIDE―――――


まさかサーカス国で、しかも風見で雫に会うとは思っていなかった。
いや。心の中ではそう思っていたかも知れない。何と言っても、彼は巻き込まれやすい性質なのだ。
何にって、騒動に。厄介事に。それも高い確率で巻き込まれて、本人は自覚なし。
救い様が無い。無いが、彼―――――桜風雫はそれを何とかしてしまう力があった。


シエル「本当に久し振りでしたね。―――――雫君」


今はタタリを追っている身だというに、変に頬が緩む。
昔、一緒に吸血鬼を退治した事があった。その時に芽生えた仲間意識だろうか。
自分は雫とは違う人間と恋人になっている。だから恋とか愛とかではなく。
純粋に仲間だと思っているのだ。
依頼を受け、一緒に任務をこなしたのは偶然で、出会いもそれは偶然だった。
そして、吸血鬼を相手に優雅に立ち回る様に、自分は見惚れたのだ。


シエル「あの時も強かったのに、今はもっと強力になっているのですか・・・・・・、雫君」


帰ってこない呟きを口からだし、溜息を吐いた。彼の力は強大だ。
その時のランクは―だったから、今はもっと強くなっているのかもしれない。
憧れた。嫉妬する位憧れた。
だから今も追い続けている。自分の恋人だって卑怯だ。SSSランク。
全く出鱈目すぎる。


シエル「此処には居ないようですね。次です」


だから。そんな雫に恋焦がれた事もあった。
その度に、強さを求めた。雫と並んで歩けるような力を。


シエル「けれどそれは叶わなかった。ま、今も満足してますが」


結局自分は違う人と恋人になった。
別にそれは構わない。だって、その人も愛しているのだし。
しかし。


シエル「雫君も鈍感すぎますね」


自分は今は違うが、アルクェイド。秋葉。翡翠に琥珀。ムーン国で四人。他の国でも多大な人気を誇っているらしい。
男の敵だと言われても相違無いほどである。しかも、全然気付いていなし。だから鈍感なのだ。
つくづく、凄い人に惚れてしまったものだ、と自分で言って笑う。


シエル「さて、今日は出ないで欲しいですね」


シエルの独り言は闇に霧散した。良い意味でも悪い意味でも、この夜、タタリは出なかった。




雫SIDE―――――


シエルと分かれた後、二時間ほど見回り、それを終え寮に戻って来た。
恐らく明日。外れれば明後日。それ以降は無いだろう。満月は明日か明後日に確実に来る。
それを逃す手は無い。逃せば力が弱くなる。吸血鬼は満月の夜に力を発揮するのだから。


雫「この街は呑ませない。依頼の制約が有る限り」


嘘だった。この街は。この街だけは呑ませたくなかった。
何故かは判らない。だが、本能が言うのだ。呑ませるな、と。
呑ませたら最後、もう戻れないぞ、と。
不可解な思考だが、流されてみるのも一興だった。
だから守る。何が難でも守ってみせる。只それだけを胸に置き、雫は目を閉じた。




とは言っても。この件がこれから始まる物語の序章に過ぎない訳なのだが。





瞼を刺激する朝日の中、雫は覚醒した。窓から零れる光は否が応でも雫を覚醒させた。
空ろな目を中空に彷徨わせた後、時計を見る。七時。
何故十二月なのにこんなに明るいのか、と問う事も無く、雫は頭を振って伸びをした。
肺一杯に空気を吸い、吐き出す事によって淀んでいる体内の気を新しい物に入れ替える。


雫「朝・・・・・・か」


ポツリと呟いてベッドを降りる。ベッドは来た時からついており、中々気の利く寮だなぁと思っていたり。
流石にセルフサービス何て有る訳も無く、モーニングコールなんてもっての外だが、それでも快適な眠りだった。


雫「さっさと準備して食堂に行くかな」


と言って気付いたのだが、雫には制服が無かった。




暦「制服?ああ、そう言えばそうだったね」


暦に制服の事を話すと、ちょっと待ってな、と言いながら自分の部屋に戻って行った。
それから直ぐに制服を持って暦が現れた。
重そうなダンボールだがその実、片手で持っている事から軽い事が判る。


暦「この中に入ってるよ」
雫「サンキュー」


ダンボールを受け取り食堂を後にしようとした所で、雫はふと疑問を感じた。
ダンボールを持ったまま振り向き、暦を見据える。


雫「何で、寮の管理人が制服を持ってるんだ?」
暦「さてね。企業秘密ってとこかな?」


不敵に笑って食堂の厨房に向かって歩いて行った。
これ以上は恐らく薮蛇だろうと感じ、雫は制服を持って自分の部屋に戻った。
部屋に戻り制服を開けてみると、其処にはブレザータイプの制服が入っていた。
確か、他の学園もこのタイプだな、と頭の中で思い返し、同時に各地に居る友の顔を思い出す。
あいつ等は元気だろうか。元気じゃないと許さない、と脅しは掛けたのだが、どうだろう。
幾つか顔を思い出している内に、着替えは完了した。
ネクタイが曲がっていない事を確認して、部屋を出、食堂に向かった。


純一「よう、雫」
雫「ああ、おはよう純一」


純一が微笑んだので、雫も微笑を以って返す。
全員が揃っている所から、どうやら思い出に浸り過ぎていたらしい。
ミスしたなぁ、と思って皆の顔を眺めれば、皆(純一、暦除く)は顔を紅くしていた。
風邪だろうか?


暦「突っ立ってないで、さっさと座りな。朝食が冷めるだろ」


暦に指摘され、手早く空いている席に座る。今日の隣は叶と美奈子。
ことりやら眞子やらが酷く鋭く睨んでくるが、無視。


暦「それじゃあ食べようか」
音夢「いただきます」
全員「いただきま〜す」


音夢の掛け声により、皆が食べ始めた。朝食はことりが作ったらしく、言うまでも無く美味だった。




風を切る音が耳に届き、幾人もの息遣いが聞こえてくる。
景色はクルクルと回り、これやこれやと家が出て来ては流れていく。


純一「何で、遅刻ギリギリなんだ!!」


つまり、遅刻ギリギリなので走っているのだ。
原因は萌先輩。何と朝食が終わり、自分の部屋に戻ったかと思うと、そのまま寝ていたのだ。
予鈴が鳴るのが八時二十分。萌が降りてきたのが八時十分。
流石に皆焦っている。純一の付加魔術"風の羽衣ウィンド・ヴェール"があったから良かったものの、無ければ遅刻は間違いない。


眞子「仕方ないでしょ!!お姉ちゃん、寝てたんだから!!」
萌「ごめんなさい、ごめんなさい〜〜〜〜」


最早皆全力だ。互いに声を掛け合えるような余裕が残っているのは現時点で純一とことりしかいない。
雫は喋っていない。喋るのが面倒臭いからだ。朝っぱらからマラソン等と、何故そんな健康的な朝を送らなければならないのか。


純一「見えたぞ、風見学園だ!!」


遠く影法師しか見えてなかった学園が現れる。
その声を聞いて皆が顔を上げた。十二月だと言うのに汗は流れているし、寒いと言うより熱い。
今の時刻は十五分。なので五分で走りきった事になる。(歩きで二十分の距離)
校門を通り過ぎ、尚も走る。教室に居なければ意味が無い。なのでペースを落とさずに駆ける。


純一「職員室は其処を左に曲がって直ぐだ!!」
雫「サンキュー」


律儀に礼を言って皆と別れる。学校の間取りもやはり、他の姉妹校と同じ様な物だった。
前の学校でも其処を左に曲がって。と言われた事を覚えている。
少ししてから、職員室が見えてきた。他の学園生もちらほら居り、雫を見ては黄色い声を上げている。
雫は少し不気味に思いながらも職員室をノックしたのだった。




純一SIDE―――――


ぶっ飛ばして、教室に入った後直ぐにノックダウン。
机に這い蹲るようにして突っ伏した。


純一「かったりい・・・・・・」


何が悲しくて、朝から全力マラソンをしなければならないのか。
世は世知辛いと言うが本当である。


音夢「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・もう、兄さん達速過ぎです」
純一「ああ、音夢か・・・・・・」


息を切らして声を掛けてきたのは音夢。俺のクラスには寮のメンバーは後眞子が居る。
クラスは4−A。A、B、Cの三クラスが全学年―――――六年次まである。生徒数は多く、全員で六百人位居る。
他の姉妹校も同じ様な物らしい。実際の所、行った事が無いので判らない。


眞子「一体どんな体力してるのよ、ことりもアンタも、雫も・・・・・・」
純一「雫・・・・・・だと?雫も俺と同じスピードで走ってたのか?」
眞子「そうよ。しかも、アンタより涼しげな顔してね。全く、化け物?」


まさか。雫はD−、俺はS+。これがどれだけの違いか。格なんて二桁ほど違うのに、それに着いて来たというのか。


音夢「直ぐにチャイムが鳴りますね」
眞子「そうね。じゃあね、朝倉」


純一はああ、と二人に手を振って、自分の席にやはり突っ伏した。
間も無くチャイムが鳴り、担任の先生―――白河暦が入って来た。


暦「静かに。今日は転入生が居る。先に言っておくが、男だ。こら男子、露骨に厭そうな顔をするな」


暦が先に釘を打つと、男子は一気に脱力した感じになった。
それらの例外の一人、朝倉純一は一人思考にふけていた。


純一「(転入生と言うと、雫か?)」
暦「じゃあ、入ってきな」


暦が扉の方に向き、口を開く。ドアが開き、銀色の髪の毛が見える。
純一の思考は当たっていた。完全に姿を見せたその男子は、桜風雫、その人だった。