全てを知りし者 第十話



ところかわって、再び芹香。


最近は浩之の魔法の特訓で、彼と過ごす時間が多い せいか、芹香はどことなく生き生きしている感じがした。今日も浩之と一緒だ。 というのは、1週間かけてようやく純一…幽体離脱中の少年の召喚のための呪文 が分かったので試してみようと思い、浩之を呼んで召喚の儀を行なうことになっ たのだ。二人は部室の床に描かれた魔法陣のまわりに立っていた。


「じゃ、お願いします」


浩之の言葉にうなずくと芹香は両手を魔法陣の中心に 向け、高速で呪文の詠唱を始めた。芹香の言葉を聞き取れる数少ない人物である 浩之は、芹香が早口かつ複雑で噛みそうな呪文を難なくこなすことに驚いていた 。そしてそれが終了すると、魔法陣が回転し始める。するとゆっくりではあるが 、純一の姿が現われてきた。


「おぉ!…あれ?」


成功に気付いて歓声を上げた浩之だったが、異変に気付き首を傾げた。なぜなら 、完全に現われた彼の体はすでに地面に横たわっていたからだ。


「お い朝倉、どうした?憑依でもしてたのか?」


呼び掛けてみるが、彼の視線は 一点を見つめ動かない。やがて発した言葉は、わけがわからないものだった。 「…どうしてだよ」
「は?」
「どうしてだよ!!なんで …オレの友達があんな目にあうんだよ!オレのせいなのかよ!」
「は、はぁ!?と、とにかく落ち着け!」


なだめようとする浩之だが 、彼の混乱状態はなかなか治まらない。やっと落ち着いて真相を語り始めるまで に、10分以上を要した。


「オレの…オレの幼なじみが襲われた」


ポツリとつぶやいた。


「…え?」
「不良どもに無理矢理…間 一髪で犬に憑依して…助けた」


一言一言確かめるように言 葉を紡いでいく。


「助けたのか?とりあえずはよかったじゃないか」
「よくねぇよ!」


またしても大声を出す純一。


「大切な 人を守ってやりたいのに守れない。たとえ目の前にいてもだ!これがどんなに辛 いか、悔しいか、お前らに分かるのか!?オレは…オレは…」


どうやら、この1週間張り詰めていたものが一気に切れたようだ。目には…涙。


「くそっ…なんで…」


そんな純一に、浩之は何も言えない。芹香も同様だっ た。しかし、何かを思いついたように、芹香は純一に語りかけた。


「…(純一さん。何もしないうちにあきらめちゃいけません)」
「何もしないんじゃない。できないんです!他人の体を借りてばっかじゃ、持ち 主に迷惑かけるし…どうにもならないんですよ!」


しかし芹香は冷静だった。


「…」
「え?体…欲しいかって?」


いきなりそんなことを聞かれ、思わず聞き返してしまった純一。


「…」
「そりゃ、欲しいですけど…」
「…」
「まがいもの?どういうことですか?」


純一が問うと芹香は部屋の隅にあるロッカーを開けると、そこから大きなトラン クを転がしてきた。そして純一の前でトランクを開けると…


「うおっ!?」


芹香と同じ制服を着た、可憐な美少女の死体としか見 えないものが転がり出て、浩之と純一は同時に声を上げた。驚いている二人をよ そに、説明を始める芹香。


「…」


どうやらこの体は、理科室 の人体模型を改造し、魔法で外見を人に近付けたものであり、性能に関しては人 となんら変わらない計算になっているらしい。食事は問題なくとれ、トイレも必 要に応じて行けばよい。痛みやその他の感覚もリアルにある、とのことだ。しか し、1つ問題があるらしい。


「…?」
「魔法?」


芹香に尋ねられた純一は、 おうむ返しに聞き返した。


「魔法ですか?」
「…(そうです。何でも構い ません。使える魔法はありますか?)」
「まぁ、あるっちゃあります けど…1つだけ」


純一は右手を前にし、その手を握った。そして少しのの ち手を開くと、そこには…


「ま、まんじゅう?」


浩之がそれを見て声を上げた。純一の手には、彼と同 じく半透明のまんじゅうが乗っていた。


「これだけですよ?」


おずおずと芹香に言う純一だが、彼女はそれで満足したらしい。微妙な表情の変 化も、それを表していた。


「…(それなら平気です。この体は魔力を使って動くん です。少しでもあれば大丈夫ですよ。じゃ、憑依してみてください)」


しかし純一と浩之には、根本的な所に疑問があるようで。


「あの…先輩?なんで女子なんですか?」
「…(女子が良かったんです)」
「…それだけですか?」
「…(それだけです)」


さらりと言ってのける芹香。しかし、本人が納得でき るわけはなかった。


「せっかく作ってもらったんですけど…男になりませんか?」
「…(なりません)」
「そ、即答…どうしても無理ですか?」
「…(どうしても無理です)」
「絶対?」
「…(絶対です)」


もはや純一に打つ手はない、ということらしい。盛大にため息をつき、肩を落と した。


「…分かりましたよ…」
「じゃ、早速やってみろよ!」


本人とは反対に、浩之と芹香は楽しそうだ。


「はいよ…」


渋々うなずくと手順どおりに、目の前の体にゆっくりと重なった(話をしている うちに動けるようになっていた)。そして一瞬の空白の後…横たわっていた体が ゆっくりと起き上がった。そして緩慢な動作のまま、浩之と芹香のもとへと歩み 寄ると、おもむろに口を開いた。


「どうだ?」
「どうだって…お前…朝倉なのか?」


浩之が驚くのは無理もなかった。綺麗な目元に、整った鼻、口。そして、それら の絶妙のバランス。黒の長髪も魅力的だ。さらにモデル並の体型。浩之の身長は 175センチほどだが、それより少し低いぐらいだ。美しいのは分かっていたが 、生気が入るとさらに美人に見えたらしい。


「ああ。なんかおかしいと ことかないか?」
「あるとすれば…話し方だけだな」


澄んだ声で男言葉を話す美少女には抵抗があるらしい。だが、生来の話し方を変 えることなど、いきなりはできはしないだろう。


「そればっかしはどうにもならないだろ?」
「でもなぁ。話し方さえしっかりすれば、相当もてると思うけど?」
「もてて嬉しいわけないだろ…それより先輩?」


何かを思い出したように、 芹香に顔を向けた。


「この体、どうすればいいんですか?島に持って帰っ ていいんですか?」


期待したように芹香を見る純一だが、芹香は首を振っ た。


「…(まだ動作のテストが済んでいません。少しの間 様子を見てからでないと、どんな危険があるか分かりません)」
「じゃ、どうすれば…」
「…(そうですね。2、3日この街にいてもらって、 不都合がなければ…)」


しかしその言葉は最後まで続かなかった。お馴染みの 効果音の後、校内放送が響いたのだ。ただのアナウンスなら無視で良かったのだ が。


「3年2組の来栖川さん。3年2組の来栖川さん。職 員室に来て下さい。繰り返します。3年2組の来栖川さん、職員室に来て下さい 」


アナウンスはそこで終わりを告げた。


「先輩、呼び出し食らった ?」
「…(…何でしょうか)」


芹香自身まったく心当たり がないらしく、訝しげな表情を浮かべている。


「とにかく行ったほうがい いですよ」
「…(そうですね。じゃ、失礼します。すぐに戻りま す)」


芹香は律儀に一礼すると、部室を出ていった。


「先輩が呼び出しか…」
「どう見ても呼び出し食らうようには見えないけど」
「何があるか分からない世の中なんだよ」
「そうなのか?うーん…よ く分からん」


浩之の言葉に微妙なリアクションを示し、改めてまじ まじと部室を見回す純一。その視線は、部屋の奥にある鏡で止まった。そして先 程よりは格段に自然な動きでそこへ移動する。


「なんだか変な気分だな」


鏡に映る自分に向かって手を振り照れたように頬を掻き、独り言をつぶやく。


「肌ざわりもリアルだな…なんか落ち着かないよ…」
「リアルなほうがいいだろ ?先輩ってすごいよな」


いつのまに か背後に迫っていた浩之が芹香の手腕に感心しつつ、仮の体の腕に軽く触れた。


「マジですげぇな…」
「ああ」


そのまま2 人で呆然としていたが、少ししてから純一が立ち直った。
「ま、これ からどうするか、だな…」
「これからって?」
「色々。ま ぁ例えばなんだ…ん?」


部屋を漠然と眺めていた純一だが、何 かが気になったらしく部屋の隅の机へと歩み寄った。そしてそこにあった1冊の 分厚い本を手に取った。


「なんだこの本?タイトルが読めない な。藤田、分かるか?」


その本を浩之に見せ尋ねると、彼は事 もなげに答えた。


「ああ、魔法の本だな」
「へぇ。ち ょっと見てみるか」
「見ても試そうとするなよ。やるんだ ったら先輩が見てる前だぞ」
「分かってるって」


釘を刺されながらも、やってみる気満々だったりする。普段の彼なら、こんな風 にやる気を出したりするのはほぼありえないことだ。だが彼は、やけにその本が 気になったらしく、ゆっくりとページをめくり始めた。


「んー…火…?何だか物騒だな…次は…水か。…呪文ってみんなこんな古風な感 じなのか?」
「オレもよく分からないけど、最近練習したのも結構渋い感じだったぞ?」
「へぇ。なかなか味があるな。精神統一して…イメージして…「渦巻く水よ、我 の鎧となれ」か…ん?」


再び本に視線を戻そうとした美少女風純一だが、その動作は途中で止まった。そ して言葉を失って唖然としてしまう。それは浩之も同じだった。理由は簡単、純 一の体を囲むようにして、薄い水の膜が張っていたのだ。


「なんだこれ…?」
「お、おい!何やってんだよ!」
「なんか勝手に…さっきの魔法か?まさかオレって天才?」
「とにかく早く消せ!」
「何焦ってんだよ?」
「いいから!」


有無を言わさない浩之の態度に渋々従い、魔道書の手順どおりにその水膜をかき 消した。


「ふう。どうだった?」
「どうって…魔法は使うな って言っただろ!?」
「いやぁ、オレはつぶやいただけでなんか勝手にさ。 こっちが驚いてるよ」


いかにも自分には非がないと言わんばかりの純一。驚 いてはいたようだが、今では完全に立ち直っていた。


「お前、本当に素人か?あ の魔法、先輩のよりも綺麗だったぞ?」
「素人だっての。和菓子以 外はだけど」
「信じられるかよ。どっちにしろ、お前の水属性は相当強いみたいだな」


うんうんとうなずきながら1人で納得したような表情を見せる浩之だが、当の本 人はまったく理解していなかった。無理もないだろう。彼に魔法知識など皆無だ 。疑問の表情を浮かべるのを見て、浩之が説明する。


「要するに魔力の種類だよ 。全部で12種類あるんだ。魔術士も属性を持ってて、自分の属性の魔法は使い やすい。さっきのを見るかぎり、お前は水だろうな」
「じゃお前は?」
「オレは風と氷だ。2つ以上の属性を持つヤツもいるからな」
「ふーん…て言っても魔法なんか使う機会…」
ない、と言おうとするが、 その言葉は最後まで言えなかった。


「…あれ…?なんか目が… 」
「どうした?」
「いや、なんか目が霞んで…眼精疲労か?寝不足か?」


目をこするがそれは治らないらしく、何度も繰り返していた。そのうちに、浩之 が気付いた。


「目が充血してるぞ?真っ赤だ」
「じゃ寝不足か?ちゃんと寝たぞ?」
「そんなことオレに聞かれても…」
「だってちゃんと寝てるし 。おかしいな。まさか…灼眼のナントカって奴か?じゃ、こっから強くなったり するのか!?」
「知るか!とにかく先輩に見てもらえよ。その体が原因かもしれないしな」
「いや、確かあの本に…」


足元にある先程の本を取り上げ、ページをめくってい く。そしてお目当てのページがあったらしく、浩之の眼前にそのページを見せ付 ける。


「ほら、光属性の治癒魔法だよ。これを使えば…」
「…」
「ナイスアイディアだろ!?じゃ、さっそく…」
「ダメだ!」
「ちょっとぐらいいいだろ!「聖なる光、我に降り注げ…シャイン・ヒーリング 」」


純一は一瞬の隙をつき、そこに書いてあった魔法を詠唱。全ての事象は、他の事 象と複雑に絡み合い、そして細かなこと一つでも大きく左右される。思えば、こ の行動が一種のターニングポイントだったのだ。詠唱が終わると、まばゆい光が 本人の体を包み込み、浩之は思わず目を覆った。その光に目潰しをくらい、しば らく動けなかった浩之だが、少しの後に目を開くとそこには…


「ん…?お、おい朝倉!?」


仰向けに倒れている純一の 姿が。慌てて駆け寄り傍らに跪き、半身を抱き起こすが、完全に意識がない状態 だった。目は閉じられ、ピクリとも動かない。


「おい、しっかりしろ!お い!」


肩を揺さぶり大声で呼ぶが、彼(彼女?)が目を覚ま す気配はなかった。


「まさか、憑依解除したのか!?おい朝倉!いるなら返事しろ!」


必死にまわりを見回すが、その行動にはなんの意味もなかった。魂状態の純一と コミュニケーションをとれる魔法陣は、芹香不在のせいか魔力がまったくなく、 ただの床に書かれた印と化していた。途方に暮れる浩之。どうすればよいか分か らずあたふたしていたが、やるべきことがあるということに気付き立ち上がった 。


「先輩に…先輩を呼ばなきゃ…」


そして、芹香を呼ぼうと部屋から出ようとしたのだが。突然背中に鋭い殺気を感 じて立ち止まり、恐る恐る振り返る。するとそこには、何事もなかったかのよう に立つ純一の姿があった。


「あ、朝倉!お前…」


大丈夫かと尋ねようとした のだが、言いかけたところで異変に気付いた浩之はその言葉を飲み込んだ。それ は意図的にではなく、声が出せなかったのだ。まるでルビーのように輝く目、冷 酷な笑み、そして全身から放出されている殺気。先程とはまるで別人のような人 物を見て、浩之は生まれて初めて心からの恐怖を感じ、今の状況を考える前に思 考が停止していた。