全てを知りし者 第四話



ここはとある町。特別規模が大きいわけでもなく、枯れない桜があるわけでもない、ごく普通の町。

彼、藤 田浩之も、ごく普通の高校2年生。その日彼は、同じ学校の来栖川先輩に招かれ た。

来栖川先輩とは、浩之の憧れの女性。本名、来栖川芹香。来栖川財閥のお嬢 様で、美人。しかし魔術に凝っていたり、しゃべるときも極小の声だったり、い つもぼーっとしていたりと、謎が多い人物ではある。そんな先輩に魔術の実験を するからと言われ、放課後、魔術部(所属しているのは芹香のみ)の部室に招か れたわけである。しかし、当の浩之は魔術よりも先輩に興味があるわけで。


「先輩〜!来ましたよ!」


彼が部室のドアを開けると、なにやら怪しい印が床に 書いてあった。浩之は芹香の実験で、2、3度目にしたことがある。魔法陣とい うやつだ。部屋を見渡すが、芹香の姿はない。わけの分からない書籍やら、実験 に使うであろう怪しげな物体がいっぱ いの部屋だ。すると、部屋の端のほうの闇の中から声がした。


「…」
「うおっ!先輩、いたんですか。驚かさないで下さいよ〜!」
「…」
「すいませんって…別にいいですよ。ところで今日は 何やるんですか?」


ちなみに芹香の声を聞き取れる人物は非常に少ない。 芹香は明るいところに出て、楽しそう(といっても、わずかな変化だ)に話し始 めた。


「…」
「悪魔の召喚をするって? 」


――こくこく。


「大丈夫なんですか?」


普段はあまり物怖じしない浩之だが、悪魔と聞いて少し不安だったようだ。その 上、芹香の実験には危険が付き物だ。特に、芹香お手製の薬を飲まされた時など 、体の痺れが1日中抜けなかったことがある。


「…」
「え?私の意志によらなければ、この魔法陣からは出られない?ならいいんです けどね」


そして部屋の電気を消し、蝋燭に火が灯り、召喚は始 まった。


「…ΖΛΚ…Ёοβ…лаγ…」


普段からは想像もできないほど、早口で呪文をつぶやく芹香。魔法陣を見ると、 床に書かれた文字が光って、高速で点滅している。


「すげ…」


感心する浩之をよそに、呪文は終わりに近づいているらしい。さらに早口に、必 死に呪文を唱える芹香。


「…ъынм…φτζη…евфоСФ!」


どうやら呪文の詠唱は終わったらしい。だが、魔法陣は光っているだけで、悪魔 の影も形もない。


「…」
「失敗です…って?まぁ、気を落とさないでくださいよ。また次が…」


浩之は言い掛けた言葉を飲み込んだ。なんと、魔法陣がとんでもないスピードで 回転し始めたのだ。そして…床から徐々に姿を表し始める影があった。


「先輩!あれ…悪魔?」


上半身だけ姿を見せたそれは、どこからどう見ても人 間。


「…」
「悪魔が人に化けてるのかもって?気をつけます」


そして、それは完全に姿を現した。普通の人なら、ただの男子高校生だと即答で きるだろう。ワイシャツに、制服のズボン。しかし、体は半透明。その少年は何 が起こったのか分からないといった様子だった。何か独り言をつぶやいている。


「あれ?オレ、どうしたんだ?確か教室を出て、音楽室に…?」


どうやら彼は2人に気付いたらしい。落ち着かない様子で聞いてくる。


「あの…えと…オレのこと、見えます?」
「あ、えーっと、見えてるけど?」


どう答えていいか戸惑った 浩之だったが、なんとか答えた。


「オレ、どーなったんだ? 気付いたら、いきなりこんなとこに…」


彼はかなり焦っている。


「…」
「はい?」


そんな彼に芹香は冷静に声 をかけるが、彼には聞こえるはずもない。あわてて浩之が通訳する。


「あなたは悪魔ですか?って」


その言葉を聞いて、彼は軽 く焦った。


「悪魔ぁ!?どっからどー見ても普通の高校生だろ! オレの名前は朝倉純一!わけあって幽体離脱中の高校2年生!分かる?」


そこまで一気に言うと、口を閉じた。


「…」
「要するに、幽霊でもないってことですか?ってさ」


それを聞いた純一は首を傾 げた。「今のオレって…なんなんだろ?体は生きてるし…魂 だけの存在、かな?それより、オレは何でここに連れてこられた んだ?」


この場の主催者であろう芹香に聞く純一。


「…」
「「実験の失敗です」ってさ。最初は悪魔を召喚しようとしてたんだぜ。そした らお前が…」
「なんだよ!オレだって好きで来たわけじゃねぇ!」


その場は一触即発の空気に。しかしそれをさえぎるかのように、芹香が純一に提 案する。


「…」


唖然とする浩之だが、その まま伝えた。


「魔法陣から出てみて下さいってよ」


どこか刺々しい。しかしそんな浩之の態度は無視し、純一は魔法陣から出てみた 。すると、彼の姿は見えなくなったが、純一は気付かずに芹香に尋ねる。


「出たけど…どうすりゃいいんだ?」
「…?」
「だよな、先輩。オレもです…朝倉お前…いるのか! ?」


彼らには完全に見えていないようだ。それを察した純 一は、魔法陣の中に戻った。


「いるよ。どーやらこの中 じゃなきゃ見えないみたいだな。はぁ…」


先程までは強気だった顔が 一気に沈んだ。ようやく、自分を見てくれる人たちが見つかったと思ったら…こ のありさまだ。そんな純一のことを心配したのか、さっきまで敵対心むき出しだ った浩之が尋ねる。


「さっきお前、体は生きてるって言ってたよな?そり ゃどういうことだ?」


純一も、さっきまでは自分に無関心だった浩之の質問 に少し驚いたが、自分の身に起こったことを少しづつ話し始めた。雷に打たれた こと。そして病院に運ばれたこと。目が覚めたら魂だけ分離していたこと。体は 植物状態になってしまっていること。そして、ことりのこと…


「でも、姿が見えなくなってもここにいるんだよ…大半の人は植物状態だと思 ってる中でな。おかしいだろ?」


すべてを話し終えた純一 は肩を落とし、自分を嘲笑った。そんな彼を見て、浩之は居たたまれなくなった 。もし、今まで普通に話していた友達からは、自分の姿が見えなくなったら?自 分なら耐えられないだろう。浩之は続いて尋ねた。


「戻れ…ないのか?」


純一は首を横に振る。


「さあな。どうやらただ体に入ってみるだけじゃだめ らしい。たぶん体と一体化するには何らかのきっかけがいるんだろ。その前に、 体の方が回復してくれなきゃな。それまでは、なんもできないよ」
「そうだったのか…そうだ。何かオレ達にできることないかな?先輩。先輩の魔 術で、なんとか物に触れるようにできないか!?」


しかし、芹香の答はあまり よいものではなかった。


「…」
「…そうか。先輩にはまだその魔法は使えないか…あっ、責めてるわけじゃない よ、先輩?えっ?でもどうにか、その魔法使えるように練習しておきますって… ありがとな、先輩」


そんな浩之と芹香をしばらく黙って見ていた純一だが 、ついに我慢できなくなり、口を開く。


「なあ…なんであんたら、 そんなに必死なんだよ?相手は見ず知らずの男だぜ?」


しかし、浩之からの解答はそっけなかった。


「別に、お前のためじゃな い。ただ、オレも同じ状況だったら…って思ってな。それだけだ」


純一はしばらく黙った後、恥ずかしそうにぽつりと言った。


「…ありがとな」
「ん?なんか言った?」
「いや、なんでもない。そ ういや、オレはまだあんたらの名前を知らないんだが…」


純一が一方的に自己紹介したのである。


「あぁ、オレは藤田浩之だ 」
「よろしくな、藤田」
「…」
「え?来栖川芹香です?」


純一は芹香の言葉を辛うじて聞き取った。


「先輩の言葉、聞こえたのか?」


驚く浩之。


「まあ、一応な」
「初対面で聞き取ったヤツなんていなかったのに…」


なおも驚いている浩之。

――くいくい。

浩之の袖を芹香が引っ張っ ている。芹香の手には、古い本があった。


「なに、先輩?読んでみろ って?」


こくこく。

浩之は芹香に言われたとお り、手渡された本を読もうとページを開き、目次を見て顔色を変えた。


「見ろ朝倉!…ここ!」


それは古い本で、霊などのオカルト現象について記さ れている本のようだ。浩之が指差した先には…


「霊が物に触る方法」 と記されていた。なおも浩之は興奮し、

「こっちも!「霊が他の生 物、物体に憑依する方法」!」


確かにそう書かれていた。 純一はというと、

(何でこんな本があるんだ?誰だよ書いたやつ…)

などと思いながらも、ページをめくるように促した。そして、お目当てのページ …「霊が物を触る方法」。純一は声にだして読み始めた。


「これか。なになに…「霊の皆さん、こんにちは。霊になってから友達に気付か れない、恋人ともコミュニケーションがとれない…お任せ下さい!その悩み、解 決します!この本の通りにすれば、物に触れるようになります!ただし、練習が 必要です。この後の憑依のほうが簡単なので、状況に応じてご自由にお願いしま す」だってよ。なんだこりゃ…インチキくさい…」


完全に何かのセールスっぽ い感じだ。この文章を信頼できる人はなかなかいないだろうが、今の純一はワラ をも掴む思いだった。


「やり方…えーと…「集中してください。以上です。 」ってそれ だけかよ!」


それしか書いていなかった。しかし、その下に小さい文字で、こ う付け加えられていた。


「「大事なのは、大切な人を守ろうとする心です」か」


純一はそれでピンときた。あの時は音夢のピンチだったから触れたわけだ。


「朝倉、ちょっとやってみろよ!」


そう言って、純一の足元に ペンを置く浩之。


「…」
「頑張ってくださいって? ありがと、先輩」


そして純一はしゃがみこみ、意識をペンに集中させた 。ゆっくりとペンに触れてみるが…


「あら。やっぱダメみたい だ…」


純一の手はペンをすり抜けた。


「いきなりできるわけないって。練習だよ、練習!」


浩之に励まされながら練習 を続けるが、なかなかうまくいかない。純一の精神力は限界に達しようとしてい た。


「くそっ!何回やってもダメだ…こんなのインチキだ !」


そう言って座り込んだ。


「そう言うなって!焦るこ とはないさ。それより、こっちの憑依のほう、やってみろよ!」


浩之は憑依のページを開いて言った。しかし正直、浩之もこの本を信用はしてい なかった。明らかなセールストーク。いい加減な解説。しかし純一は、これにす がるしかないのだ。多少気の抜けた声で純一は読んだ。


「「憑依…これは簡単です。まず、憑依する相手をじっと見て下さい。そして、 相手のことを頭の中でイメージしてください。そうしたら5秒間息を止めて、ゆ っくりと対象に重なってください。なお、その時の相手は、起きていても寝てい てもかまいません。これで憑依は終了です。なお、抜け出すときには10秒間息 を止 めて、一気に吐き出してください」か。さっきよりは現実的だな」


まだ疑わしいといった感じだが、とりあえず試してみる気にはなったようだ。


「試すったってなあ…どーやって…」


そこで芹香が浩之に何かを ささやく。


「…」
「ええ!?無理ですよ!そ ればっかしはいくら先輩の頼みでも…」
「…(やらなきゃ…嫌いで す…)」
「そ、そんなぁ!」


どうやら浩之を実験台にし ようとしているらしい。そのやりとりを見て純一は思わず吹き出してしまった。


「なにがおかしいんだよ!オレはお前のせいでなぁ…」


浩之、かなり必死。


「とにかく!オレはやりたくな…がう!?」


突然崩れ落ちる浩之。そして、芹香の手には分厚い本が握られていた。


「…(さあ純一さん、どうぞ…)」
「…先輩…似てますね…」


思わず音夢のことを思い出してしまう。


「…?」
「いや、なんでもないですよ。こっちの話です。じゃ、やりますか…」


彼は倒れている浩之をじっと見た。そして彼の姿をイメージし、息を止め、ゆっ くりと彼に重なった。その瞬間、純一に奇妙な感覚が走った。着ぐるみをきたよ うな、そんな感覚。それもいきなりではなく、体の中心から徐々に広がっていく 感じ。その感覚が全身に行き渡り、純一は立ち上がってみた。


「なんだ…?今の感覚は…っ!?声が…ってことは…もしかして…?」


部屋の隅にある鏡を見てみると、自分が立っているはずの場所に浩之が立ってい る。


「すげえ!できた!どうですか先輩! 」


唖然としている芹香。しかし、やっとの思いで口を開いた。


「…」
「え?そう。朝倉ですよ!」


芹香は驚きを隠せない。


「…」
「え?憑依もなかなかでき ることじゃない?そうなんですか?オレって天才かもなぁ!」


かなり調子に乗っている。しかし端から見れば、浩之が言っているように見える のである。


「まぁ、これで憑依は完璧…と。確か戻るときは…」


彼は息を止めすこしたった後、思い切りはき出した。すると、浩之の体は崩れ落 ち、純一の魂だけがその場に残った。が、彼の体もすぐに崩れ落ちた。


「うわっ!なんだこれ…体に力が入らない…くそっ!」


悪態をつきながらもなんとか立ち上がろうとするが、体は言うことを聞かない。 そうしているうちに、浩之が目を覚ました。


「う、うーん…先輩?朝倉 ?お前、どうしたんだ?」


這いつくばっている純一を見て、浩之が心配そうに尋 ねた。


「どうしたもなにも…お前に憑依したら…」
「ち、ちょっと待てよ。オレの中に入ったのか!?」
「ああ。お疲れさん」
「そんな、勝手に人の体…」
「ごめんごめん。ま、傷つ けちゃいないさ。安心しろ」
「安心できるかっての!」


浩之の怒りは収まらない。


「悪かったよ。それより、体に力が入らないんだ。な んとかしてくれよ」
「なんとかしろって言われても…」


さりげなく話の方向を変える純一。それに気付かない浩之もお人好し。


「…」
「え?時間です、って…どういうことですか、先輩? 」
「…」

「時間切れです?」
わけが分からないといった様子の純一と浩之。 するといきなり、純一の足元の魔法陣が光り始め、体が徐々に沈み始めた。


「え!?ホントに終わり!?マジかよ!」


慌てる純一。しかし芹香は 冷静だった。


「…」
「また召喚します?頼みま すよ先輩!ちなみにオレの学校、初音島ってとこにあるんで!それだけ覚えとい てください!」


そう言い残して彼は消えた。


「…行っちゃいましたね」
「…」
「また会えますって?べ、 別に会いたいわけじゃないですよ」


今の時間で、浩之は純一と うまくやれそうだと感じたらしく、顔は少し淋しそうだった。


「あいつ…大丈夫かな」
「…」
「純一さんなら大丈夫です って?どーだか…おっと、もうこんな時間だ。帰りましょうか、先輩?」


そして2人は帰っていっ た。彼にまた会える日を信じて…